神様から見た「人」

「全知全能」とされる神々は、私たち人間の行いをどうご覧になられているのでしょう。

人類は歴史の中で悪逆非道も繰り返しては今もなお浅ましい行為を続け、ましてその心は神から全てお見通しですらあります。

 

おそらく「神」という御存在は、初めから「悟りきった」境地の向こう側におられ、人間の視野を遥かに超えた次元でものを見ておられます。

その違いは、人間から見れば「人と動物」あるいは「」くらいの差があるでしょう。

 

例えば私たちから見て、猫が皿に顔を突っ込んで食事をする光景を「浅ましい」とは思いません。

人から見て「猫はこういう生き物」という頭があるからであり、習性も生物としての性質も全て折り込んだ上で理解しています。

 

なぜ全知全能の神が「人間」へ深い関心を注がれるのかと言うと、高次元におられるがゆえに「最低次元の霊人」たる人間は特別で、常に学びの対象であるからだと思います。

 

私たちが飼育ケースの中で「カブトムシ」を観察するように、おそらく全てにおいて次元が違いすぎるため、あらゆる生態が興味の対象なのだと思います。

どんな善行や悪事も、神からすれば「人間はこういう生き物である」という認識の範疇にあるため、その推測の域を出ることもないのでしょう。

 

私たちが、自らの行いを「お天道様は見ている」と認識するのは、素晴らしいことです。

私たち人間は、自らの言動を「善悪」を軸にして神に問おうとしますし、時に「恥」と感じることもあるでしょう。

 

ただそれでも、神々からすれば「猫」や「カブトムシ」レベルでの考えであり、どうしても「その程度」に過ぎないはずです。

だからこそ、私たちは自分たちの行いを少しでも過大評価したり、また変に遠慮するべきでもないのです。

 

神の前で「いくら遜っても過ぎることはない」と神示にあるのは、神に何もかも与えられ、どんな能力も神に匹敵しうることがない人間にとって、思い上がることのできる要素は何一つないからです。

 

だから、私たち人間は自らの立場をしっかり認識し、またもっと広い心で「神」という御存在を慮り、神様を「信頼」することが大切です。

人類の「未熟さ」は、神がお見通しの上に予め許されたものであり、大事なのはそこから私たちが「成長」していくことなのだと思います。

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