苦労が「得」な理由

今、「」に置いておかれる階層の人たちから、神々の「大掃除」が始まっています。

「天井」に近い場所ということは、普段から比較的綺麗で大した汚れもないはずですが、今は優先的に手が入っている状況です。

 

こうした方々は、かなり忠実に生きてこられたからこそ、ご苦労なされた方が多いのではないでしょうか。

常日頃から「苦」と向き合っておられるのに、最近は尚さら努力を要求され、辛く感じる方もおられるでしょう。

 

「神の道」は、最初の時ほど苦しく、後になるほど「楽」になるとされます。

対して「外れたやり方」は、初めから途中までは順調なのだけれど、後に行くほど行き詰まり、長くは栄えないものです。

 

「神の道」は永続性を持ちますが、「外道」は途中で頓挫する宿命にあります。

自分の「積み重ね」が後世に残るか、風化しても構わないのか、判断の差が命運を分けると言えます。

 

私たち人間は、近視的に目の前にあるものばかり見てしまいます。

ゆえに「楽なものほど良い」と考えますが、一段高い視野で眺めれば「段階」を踏むのに越したことはありません。

 

「永遠」の立場から見れば、「弥栄」の道を辿るものは残り、それ以外のものはどれだけ熱があっても、いずれ消えてしまいます。

「苦」を選択する人は、いずれ消えてしまうようなものに熱を注ぐ無意味さを知っているのです。

 

大事なのは、目先の苦楽を軸にして考えないことだと思います。

「苦労がない」というのは、それだけ「身につくものがない」ということであり、それはそれで気の毒なことなのです。

 

「神の道」に、一切の無駄はありません。

だからこそ、いらない苦労はしなくても良い「楽」な道とされる所以なのでしょう。

ただし、それは「苦労」という階段を地道に踏んでいくしかない道なのです。

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