日月神示「黄金の巻・第二帖」には、「古いことが新しいことと思っているなれど、新しいことが古いのであるぞ」とあります。
これまでの経済は、機械による「モノづくり」から「IT」への流れを「先進化」と位置づけ、産業の多様性を細らせてきました。
特にモノづくりを支えていた中小規模の「町工場」で淘汰が起こり、資本の集中とデジタル化の流れは、特定の寡占企業の集権化を促しました。
今や世界有数のガリバー企業は「国家」や「政治」と結びつき、業界覇権をますます不動のものとしています。
それどころか、大企業の超富裕層は集権的な社会構造を維持しようとし、最も社会的恩恵を受ける人々となっています。
善し悪しはともかくとして、この社会構造の「非対称性」は文明から見て「持続可能ではない」と思います。
現在、国際情勢の不安定化によりサプライチェーンが脅かされ、一般市民は日常遣いのものすら手にしづらくなっています。
企業の巨大化と寡占化は、産業の「多様性」を毀損し、事案に対する流通リスクを高めることで、サプライチェーンの「ショック耐性のなさ」を露呈し、近年それが顕著に現れているように思えます。
私は、これから企業の「大鑑巨砲主義」時代は終わりを迎えると考えています。
なぜなら、利益構造の集中が現代社会にあらゆる弊害をもたらしてきた事実が、ますます可視化されると見ているからです。
結局、「技術」というものは「儲かればやる、儲からなければやらない」というサイクルの中で、高度な技術でも容易に「ロストテクノロジー化」してしまうのです。
それを象徴する日本の「町工場」を思い返すと、産業的な多様性を持つことの重大さと、「モノづくり」が複雑性を持つことの意義を感じてしまうのは私だけでしょうか。
「自分の業界は、この一社がなければ成り立たない」というのは、冷静に考えれば危険なことです。
そのリスクが解消され、「モノづくり」の分野や実体経済が再び活況を取り戻すには、良い意味での「温故知新」が必要なのだと思います。