日月神示「黄金の巻・第六十七帖」では「身魂磨き」について、こう述べられています。
「肚はらの中に悪のキが這いるから、ぐらぐらと折角の屋台骨が動いて来るのぞ、人の心が誠にならんと誠の神の力現われんぞ、みたま磨きとは善いと感じたこと直ちに行うことぞ」
「身魂磨き」とは、例えば何か「気づき」を与えるような出来事が起きたとしたら、そこで自分自身を見つめ、すぐに「心根」を改めようと決意し、次の瞬間には行動に移すようなことだと思います。
人は誰しも、自分が「間違っていた」とは思いたくないものです。
だからこそ「過ち」を認めるのは勇気が必要ですし、「恥」を甘んじて受け入れることが大切です。
ただ「恥」が大きいと感じるほど、自分の体験から得た「学び」は重くなります。
この「学び」こそが宇宙の目的であり人生の意味なのですから、「恥」も財産のうちと言えるのではないでしょうか。
「身魂磨き」を実践するには、まず自分の心に浮かび上がる「気」の種類を見極め、「良くない念」と向き合うことが大切です。
この「心根」をよく観察して改めていくこと、そして言動そのものや考え方までも変えていくことが、「身魂を磨く」行為に直結するのだと思います。
これこそ、自分の「こだわり」とも言える「物(もの)心」ではなく、「永遠の立場」からモノを見る「事(こと)心」へ判断の軸を組み替えていく、地道な作業となります。
人は「学び」の一環として「物心」が必要な段階はありますが、ある程度の学びを終えて「神の道」へ進む段階となれば、「事心」に生き方の軸を移し替えていかなければならないのです。
だから最近の私は「心を無にする」とか、やたら口幅ったい話をしていたりします。
自分の「肚」にある歪んだ「キ」は底知れず、常に気を配っていないと噴き出したことにも気づきません。
気が遠くなるほど地道に、自らの「心根」と向き合うことが重要であり、この「大掃除」がある程度済まなければ先に進めない、今はそういう段階なのだと思います。