「招神万来」の方で、なぜ大神が「悪神」を産み給われてたのか、そして「闇の世」を作り出さなければならなかったのか、考察する記事を公開しました。
前回の記事で、私は「悪」のなすこと、そこに「大神」としての姿を見て、「善神」の心を見るべきである、と説きました。
「悪」というものが、この世に不可欠であり、まさに「必要悪」だから存在すると言えるのです。
とは言え、現在は「悪の全盛期」と言っても良く、特に「踏みつけられ、踏みつけられ」して、只でさえ「落ちぶれている」日月の民にとって、「悪を許す」側に回ること自体が「なかなかの行」と言えます。
しかし、これほど「九分九厘」のさらに「九分九厘」の状況を迎えつつある今、逆に「日月神示」にある通りにならないはずがないとすら思える状況ではないでしょうか。
私が約1年9ヶ月前に「招神万来」を始めた時、「日月神示」のことは殆ど知らず、「瀬織津姫命」という神様のことも「神道」が何なのかも、全くと言って良いほど存じていませんでした。
けれど今になって、全てが一つに繋がっていたことを振り返ると、やはり神様のお導きだったのだろうと思います。
だからこそ、自分でもよく分からなくても、本当にそうなるかは見えなくても、「いずれそうなる」という確信が持てるのです。
正直「自分一人が言い張っている」ような状況は心許ないとは感じますが、スピリチュアリストとは白眼視されようが火炙りに架けられようが、自分の信念を直感に委ねるような胆力がなければ務まらないでしょう。
だから私は、どれだけ「◯違い」と言われようと相手にされなかろうと、それを褒め言葉として玉砕覚悟で生きていくつもりです。
もし粉々になって「灰」となっても、きっと瀬織津姫様と天之日月神様がどうにか拾って下さるに違いないと、私は信じています。