「神に仇なす者たち」、俗に言う悪魔や悪神の心に触れる時、おぞましいほどの憎悪と冷たい心がそこにあるのを感じます。
もし、彼ら闇の者たちが「悪」という名の歓喜だとしたら、そこにある悪感情も「喜び」の表現なのでしょう。
どんな悲しみや憎悪も「歓喜」の現れであるという事実を知らなければ、「存在」というものの本質を掴むことはできないのかもしれません。
鳥や動物たちは、自らを取り巻く環境の過酷さや死の恐怖に直面しているからと言って、絶望して生命を断とうとはしません。
それどころか、生命を繋いでいるうちは「喜び」と捉え、だからこそ過酷な環境の中でも種を存続させ、広げようとするのでしょう。
生命とは、「存在」への歓喜そのものです。
「闇」の者たちも、例え破滅的であろうとも自己という存在に貪欲である以上は、生命の歓喜を謳歌しているのだと思います。
ただ、闇が栄えると光の存在はいずれ潰えてしまいます。
ゆえに「闇の世」が永劫に続いてはならず、その時代を終わらせるために「光」が必要となるのです。
この深い闇を切り拓くには、例えるならば太陽と月と宇宙の星々の光を集めたような、強烈な光でなくてはなりません。
その光は、おそらく「祈り」の強さそのものなのです。