3月20日春分以降、私の行動指針が「平和」や「希望」というポジティブなテーマに切り替わったことは、長らく私の文章をご覧になられている方なら感じておられたかもしれません。
「招神万来」でも、国際情勢や社会に対する批判的な記事が減ってきたことに繋がっています。
最近、私がポジティブかつ非現実的な話をすることが多くなってきたのも、「敢えてそうしてきた」部分があります。
ただ現実的には、私がずっと参照してきた「Bloomberg日本語版」にもペイウォールが掛かるようになったため、善意に頼れなくなったのも理由の一つです。
今の世の中は、きちんと取材された良質な情報を得るのが難しく、正直どのメディアでも多少のバイアスはあるのですが、最近は特に政治的なニュアンスが露骨になっており、有料記事でも信憑性が薄くなったのは感じていました。
それでも「使命感」をどこかに感じるなら、引き続き洞察も試みたりはするのでしょうが、最近はむしろ「批判から離れる」ことへのテーマがあった気がします。
それは、この数週間で「具現化」を始めた「世界の二極化」と無関係ではありません。
今、この世界で「真実」というのは、どのメディアを追えば手に入るというものではないでしょう。
むしろ「戦争」が肥大化する世界において、「報道」は権力の作用する場に変わります。
だからこそ、ペイウォールをいくら乗り越えても「真実」に辿り着けるとは限らず、まして「有志」のSNSが全ての指針になり得るかと言えば、決してそうでもないでしょう。
今こそ大事なのは、世界に包まれた「霧」の向こう側に行くことではなく、足元の見える世界で「地」に足をつけて生きることです。
その時、自分の近くにいる大切な人の手をグッと握り、守り抜くことです。
それが私の言う「祓い清め」であり、それでも自分の平常心と大切な人の心を守るだけで、大変な「戦」になります。
これこそが「天国」へ向かう戦であり、人を批判して倒して進む戦は、全て「戦争」なのだと思います。
だから些か能天気に見えても、「戦わない」という選択をすることすら、今は「戦」となり得るのです。
世界を包む「霧」の先にある光は、プロパガンダを掻き分けた壁の向こうにあるのではなく、手で触ることのできる温もりの向こうにあります。