「結果オーライ」の世界

この宇宙は「学び」のために用意された世界という話をしてきました。

そもそも神々が「地」の世界をお造りになられる以前、「天の世界」にあったのは「光」のみ、言ってみれば「白一色」の清潔な世界と考えられます。

 

おそらく「平和」で皆が仲良く暮らすだけでは、「天国」には全く進歩がなかったのではないでしょうか。

そのため、あらゆる色彩が混ざり限りなく「」に近い、澱んだ色とりどりの世界を改めて造り直されたのでしょう。

それが現界を含む「地の霊界」であり、天から見れば「逆さま」の世界です。

 

この地上世界を司る霊人は、「肉体」を持つ人間です。

この世の「神」は人間であり、天の神々が干渉するにしても、神界の法則「フトマニ」に従わねばならず、おそらく神ですら勝手の効かない世界にあります。

ゆえに、天界では「全知全能」の神々であっても、この地上世界においては制約があり、神々はこの不自由を「学び」の礎とされているのではないでしょうか。

 

これまでの歴史で紡がれた、あらゆる惨事や戦争による非道ですら、宇宙にとって「学び」の一言に尽きるのだとしたら、神の次元には底知れぬものを感じます。

しかし、その暗黒史ですら「弥栄」の礎であり、3000年続いた現在の「闇の世」も、またそうなのでしょう。

 

私の感じるところ、神様は「一旦汚しきって磨きをかける」というやり方を採用なされているようです。

だからこそ、人間世界が一度「悪の世に染まる」ところまで持っていく必要があったのだと思います。

 

戦争は世界に蔓延り、強権が世を支配し、地球は散々に汚され、まるで救いがないように見えますが、これこそ後の世界のために用意された「段階」と言えるのです。

神々は「永遠の立場」から物事を見ておられるため、「過程」に「結果」を求めないのでしょう。

 

つまり、天の神々は「汚しきって磨き抜かれた世」をご覧になられており、その実現のために今日の御働きがあると考えられます。

 

私たちの人生も似たようなものですが、一時の成功が「ゴール」なのではありません。

長い目で見れば全て「過程」に過ぎず、どこを「結果」として切り取るかで印象は変わります。

 

おそらく天から見れば、全てが「結果オーライ」なのでしょう。

ただ神々だから「永遠の立場」にあるのであって、たかたが数十年生きるだけの人間には、そのスケールでものを見ることができないだけなのではないでしょうか。

 

だからこそ、私たち人間の目から見た世界に捉われることなく、より高い視座で物事を見る必要があるのだと思います。

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