私は、これまでの人生で「コテンパン」という表現に相応しい体験をいくつかしました。
もちろん、今では自分が悪かったこともわかりますし、こんな私をここまで育ててくれた社会にも感謝しています。
「禊祓祝詞」や「大祓詞」にある「罪穢れの祓い清め」とは、私たちが生きていく中で犯す過ちを、文字通り「水に流す」ことなのかもしれません。
人にされた迷惑、自分が行った過ち、どちらも「自分も悪かった」「他に原因があった」などと反省し、許し合い和解することで「罪穢れ」が浄化されていくとしたら、私たちは日常生活の中で「祓い清め」をしているとも言えます。
動物は、そうした出来事を「忘れる」ことで流し、許しを行います。
しかし人間は「心」の働きで、自ら人の過ちを許すことができるのです。
これこそ、人が「神様」たる由縁であり、「罪穢れ」に対して人が行うことのできる「祓い清め」なのかもしれません。