悪人は「気の毒」

明石家さんまさんがインタビューで、ご自身がファンから迷惑行為をされた時、「怒り」は全く覚えないと語っておられました。

ああ、コイツは可哀想なやつなんやなと思う」とも仰っておられて、ずっと賛否両論ある大衆の面前に立ってこられた方だからこそ、「境地」に近い達観に至れたのかなと、当時の私は考えたものです。

 

私も、根から「悪人」と呼べるような人からは散々な目に遭わされてきましたが、今思えばさんまさんの気持ちもよく分かるのです。

当然、人を踏みにじって喜ぶような人を見て良い気持ちはしませんが、冷静に考えると彼らの方こそ「気の毒」に感じられます。

 

大体の人は、何か良くないことがあれば自分の「過ち」に気づき、行いを少しずつ改めながら「成長」していきます。

ここに「学び」があるからこそ、人生が進むにつれて回避できる障害の数は減っていき、だんだんと「生き方」がわかってきます。

また自分の「過ち」を恥じて、同じことを繰り返そうとはしません。

 

「悪人」というのは、この「学び」を後になっていっぺんに取り返そうとするタイプの人たちであり、言ってみれば「夏休みの宿題を終わり頃に始める子供」なのです。

 

この宇宙の本質が「学び」にあるなら、いずれは自分の過ちへの「気づき」に直面する機会が訪れるはずです。

つまり、それが「先」か「後」かと言う話であって、遊びたい気持ちを抑えてコツコツ宿題をする子もいれば、友達のドリルを丸写しすれば良いと考えて、夏休み最終日まで遊び倒す子もいるということです。

 

もし自分が「先生」だとして、生徒たちを「平等」に見るなら、どういった「教訓」を子供たちに与えるべきなのか、改めて教師の立場から考えてみると、どうも今までのようには行かないことがわかるのではないでしょうか。

 

そのため、悪人は「気の毒」なのです。

他人から貰ったものは身につかず、何もしないで得たものも身につかず、そうやって手に入れたものですら、いずれ死んだら手放さないといけないものです。

 

全てが「天」から与えられるカリキュラムならば、自ら「学び」を得て本当に「身」についたことだけが大切なのです。

こう考えると、世を眺めて「腹が立つ」気持ちも、少しは変わってくるのではないでしょうか。

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