「改心」の仕方

日月神示「碧玉の巻・第六帖」には、こうあります。

「禍いと言うものは無いのであるぞ、光を忘れ、光に背くから嫌な事が起こるのじゃ、影が差すのじゃ、禍とか悲しみとか言う暗いものが無いのが誠であるぞ、中心は無と申してあろう、中心は見えんから、分からんから、外のカスばかり見ているから、つまらん事でつまらん事が起こって来るのぞ」

 

自分にとって「良くないこと」が起こる時、大抵は「外側」に原因を求めてしまいます。

事実としてそう思えたとしても、「霊的」に見れば自分の「気」から発せられた物事であり、言ってみれば身魂の「気の歪み」が顕在化したのが「禍事」なのです。

 

スピリチュアルの世界で語られる「引き寄せの法則」は、深いレベルで「因果応報」に繋がっています。

この「因果」を規定づけるものこそ「巡り」というものであり、つまりは「心根」の部分で引き寄せてしまう現象だということです。

 

「良いこと」も「悪いこと」も、ある程度コントロールできるとしたら、誰にとっても理想でしょう。

この「目に見えない原因」を変えていくことこそ「身魂磨き」であり、神示では「改心」とも言われます。

 

ただ「目に見えない」からこそ、努力して身魂を磨いているつもりが磨けていない、という現実にぶち当たることもあります。

「念」だけで気の歪みを直すには限界があるため、実際の行動としては「心口意」、つまり「腹の底から思うこと」「いつも言葉にすること」「常日頃からの行い」が三拍子揃う必要があります。

 

「心口意」1セットと考えて、改めの行動が積み上がるたび、「心根」の改心は少しずつ進んでいくのです。

そのため「気の歪み」を直すのは、想像以上に地味な「変化」を伴いながら進んでいくことになります。

 

だからこそ、「身魂磨き」は一朝一夕でならず、一足跳びに進むことのできない「一二三(ひふみ)」と言えるのです。

これを繰り返すことで、少しずつ「気の歪み」は正常に戻っていき、身の回りに起こることも変わってくるでしょう。

 

言ってみれば、これが最も手堅い「開運」とも呼べるのですが、良くないことを何かのせいにして、因果関係を「外側」に求めているうちは、掴むのが難しいかもしれません。

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