負ける「勇気」

「中今」とは、言ってみれば「出たとこ勝負」そのものです。

日月神示に云われるように、目の前の出来事を「一先ず甘受する」ためには、「勝ち負け」の結果がどうであれ一応受け入れる必要があります。

 

人生、いつも「連戦連勝」とは限らず、時に理不尽な理由で「負け」を見ることもあるでしょう。

曲がりなりに自分が「勝つ」ための努力をしているほど、突如として突きつけられる「敗北」という結果に、すんなり納得するのは難しいはずです。

 

しかし、ここで「我」を張って「自分が負けるはずはない」「いや負けた訳ではない」と食い下がるから、「勝ち」はともかく「負け」を認めることができず、「結果」を甘受することができません。

 

「諦める」とは、「明らかに見る」ことが語源とされます。

どう考えても不利な状況に置かれながら、我を張って「負け」を認めないからこそ、歪んだ現状認識のままズルズルと「最悪」の結果に繋がってしまうのです。

 

ここで状況を冷静に見つめ、事実を「明らかに見て」その判断を諦め、一応「敗北」を認めること。

それは、決して「弱さ」ではなく「賢さ」の現れと言えるでしょう。

むしろ「負けを認められない」心理には「臆病」が隠れており、潔く「敗北」を認める心にこそ「勇気」があります。

 

負けを認める勇気、敗北を処理する勇気は、挑み勝つための勇気よりも「」を持つものです。

ここで一旦「負け」を認める胆力があってこそ、来たる事象を「甘受する」ことができるのではないでしょうか。

 

全て上手くいかないのも世の常、浮き沈みあるのが人生で、頑張ればがんばるほど「どうして上手くいかないんだ」と悔しさも湧いてきます。

けれど、ここで一度「結果」を受け入れて「ここからどうするか」を考えるのが、「弥栄」の方法なのだと思います。

そこで「成長」のきっかけを掴むことができれば、きっと目の前の「失敗」や「敗北」にも、感謝できる日が来るかもしれません。

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