この世の「善悪」は不公平だと、ずっと私は感じてきました。
悪人ほど責任から逃れ、殆ど罪を償うことなく、奪ったものを元手に力をさらに強めていきます。
反面、善人は責任を一方的に負いながら被害の後始末まで行い、なお悪人を許そうとさえします。
この非対称性の正体は一体何なのか、ずっと考えてきました。
私が日月神示に出逢い、学びながら辿り着いた結論はこうです。
善が悪を「抱き参らせる」ほど大人にならなくてはいけない唯一の理由は、善人には未来があり、悪人に未来はないからです。
神示で「借銭」とある言葉が意味するのは自らの業、それも負のカルマそのものです。
悪人は元本を返済する努力をせず、借金に借金を重ねるタイプの生き方だからこそ、常に羽振りが良く順風満帆に見えます。
ただ借金ですから、返済負担も利子も膨らみ続けますが、借銭を最初から踏み倒すつもりなら、支払い義務への姿勢が根本的に欠落してもおかしくありません。
これを人生に喩えるなら、普通の人は社会で身を立てるため、義務教育を終えると高等教育課程に進み、いずれ就職します。
しかし悪人は、初等教育も疎かに遊び回り、借金を抱え手元の資金をギャンブルに注ぎ込むような生き方なのです。
大抵の人は前者なのですが、悪人の楽しそうな姿を見ると時に不公平さを感じることでしょう。
善人と悪人の非対称性は、これが「霊的」に現れた姿であり、人として真面目に生きた方がどう考えても手堅いのは確実です。
なぜ、善人が悪人のように刹那的に生きようとしないのかと言えば、破滅するリスクが目に見えるからです。
末永く幸せでありたい人が、わざわざ破滅を選択する理由がありません。
まして、死後の世界も「霊人」として生きることを考えたら、ただ一時のためにその後の人生を台無しにすることが賢明であるはずがないのです。
こう考えると、長い目で物事を見る大切さに気づきます。
そして殆どの人は、不公平さを感じながらも手堅く生きることを選ぶのです。
これが「間違っている」ように見えるのが、今の世の中です。
まして、こんなあべこべが罷り通るのも時間の問題ではないでしょうか。