「悪神の大将」について

日月神示「星座の巻・第十五帖」に、天を司る皇祖神の一族が、本来「十二柱」であったことを示す一文があります。

 

十二人が一人欠けて十一人となるぞ、その守護神を加えて二十二柱、二十二が富士じゃ、真理じゃ、また三であるぞ、今までは四本指八本指で物事を計って誤り無かったのであるが、岩戸が開けたから親指が現われて、五本十本となったのじゃ、この事よくわきまえよ」

 

「一人欠けた十一人」が、現在まで生き通しの「元つ神」の総数であり、「国常立大神=大地震の神」と「雨の神」「風の神」などの9柱、そこに「スの神(・)」を加えての11柱になります。

 

「守護神」とは、「欠けた一人」でもある「天御中主神」であり、「天地」そのものを御玉体となされる大神です。

しかし、新たに「二十二=富士」の守護に就かれるのは「別の天御中主神」こと「大日月地大神」であられるのでしょう。

 

また、別の見方もできます。

「欠けた一人」を「泥海の頃から生きている悪神」とすれば、悪神の総大将を抜いて10柱の龍神と「スの神」を合わせて「十一人」とすることも可能です。

 

「悪神」の定義は、おそらく「◉(カミ)」の性質を失い、「◯(ミ)=物質偏重」となることにあります。

「・(ヒ・キ)」は、ズームすると厳密には「◉」の形となっていますが、「・(火)」の中にも「◯(水)」の性質があり、それが「身」となっているのです。

従って、いくら「◯」偏重となっていても、そこには「・」の要素があり、「ガワ」が本質となっていると言うこともできます。

 

もし「悪神の総大将」が不具の神としてご誕生なされた「ヒルコ神」なのだとしたら、神として生まれながら不完全な己を呪い、完全な神として自らを産まなかった親神を恨んだかもしれません。

その「復讐心」が現在の闇の世に繋がっているとしたら、「偽神」による災いにも一応は筋の通る説明がつきます。

 

私たちが人として生きていく中では、親の社会的立場や自分の境遇を呪うことは、わりと誰もが通る道なのではないでしょうか。

この気持ちがわかる私たち人間なら、神に仇なす者たちの怒りや、悪神の憎しみを理解できないはずはありません。

 

ここで「悪」に対して理解を示し、同情の心を向ける、そのことで悪に「抱き参らせる」余地が生まれるのかもしれないのです。

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