「努力」への誤解

この宇宙は「悪」を足場にした成長、「弥栄」を求める世界です。

「悪」は禍事を通して世に「学び」を与える存在であり、その克服によってより良い未来に繋がるのです。

 

これを例えるなら、宇宙とは学びや「修行」を志向する世界と言えます。

ただ人間は「楽」をしたいですし、なるべく苦労も浮き沈みも経験したくないものです。

 

だからこそ、現代まで人々は「自動化」によって「苦」の軽減を図ってきました。

それが現代文明であり、「金」と「機械」が人を動かしてきた時代です。

 

ただ「弥栄の世」となれば、「成長」が重要な意味を持ちます。

全てを「モノ」に任せて「楽をしたい」「努力したくない」という身魂があるとしたら、自分から「神世」に渡ることを諦めるかもしれません。

これが「神世」に渡らず、一定の人々が旧い宇宙に残ることを選択した理由に繋がるのではないでしょうか。

 

現代に至るまで、「努力」が社会や外部から強制される時代が続きました。

本来「成長」こそが宇宙の、人としての目的にも関わらず、「修行」の強制によって「学び」そのものが「悪」と受け取られてしまったのだと思います。

 

しかし、世に強制される「努力」は、本来あるべき「努力」ではありません

人はそれぞれ霊的に「成長」することで、より良い「霊界」に行くことを自ら志向する世界に生きているからです。

つまり、宇宙に遍く存在する生命は本質的に「成長」を求めるのです

 

この「履き違え」を、きちんと認識することが大切です。

また、人が正しく「修行」を受け入れるからこそ、世が「弥栄」たりうることも大きな意味を持ちます。

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