天地の大峠の「トリ」は、現界の「地の岩戸開き」をもって伊弉諾命が「別の天御中主神」の称号を頂き、名目共に天地並びに三千世界を司る大神(大日月地大神)となられることが、日月神示に述べられています。
今、私たちはこの世界があまりに強固な権威によって形成されていて、まるでビクともしないように感じてしまいます。
しかし、たかだか人間が知恵を凝らして数十年で作った程度のものであり、宇宙のごく一部に過ぎない地上の仕組みなど、神々から見れば塵に等しいでしょう。
要するに、天地を自在に構う大神にして見れば、人間から見た「絶対」は小手先程度のものです。
まして「嘘の世」「闇の世」の仕組みは、片鱗すら残らなくても無理はないでしょう。
こう考えると「ミロクの世」が開けた世界が、どれほど現在と交わらない世となりうるのか、想像できるかもしれません。
「一厘の仕組み」とは、神界に先立つ「霊主体従」の法則に則ったものと考えられます。
「一厘」とは、「奥山」の霊的社会のあり方が現世に広がっていくことであり、それが一気に波及する契機を「地の岩戸開き」と呼ぶのだと思います。
これを実現するには、伊弉諾命こと「天之日月神」が神懸かれる七人の身魂が必要です。
おそらく、七神人をそれぞれ動かして「実地」に仕掛けを行う必要があり、そのために「神懸かれる身魂を作れ」と神示で口酸っぱく仰られているのではないでしょうか。
もちろん、そんな豪胆な行動を起こす人間は、確かに人々の記憶に残るでしょう。
これが「万劫末代名が残る」ことの意味なのかもしれません。