日月神示に言う「借銭」をわかりやすく例えると、こうなります。
ある店で、きちんと「値札」が貼ってある商品でも、その場で代金を支払わず「ツケ」にできるとします。
店に訪れる客は、本来なら「ツケ」であれば持ち出しが許される商品であることに気づかず、「テイクフリー」だと思って好き放題に店のものを手に取っていきます。
もちろん「店主」は、客の一人ひとりが何の商品を持ち出したのか、いちいち「帳面」に記しています。
けれど、客の側は「タダ」で手に入ったと思っているので、商品を転売して対価を得たり、人が持っているものまで取り上げたりしていますが、それを最初から「自分の権利」だと信じているのです。
この「ツケ」というのは、いつかは必ず払わなければいけないものですが、本来ならその場で「代金」を支払えば良いだけです。
その店で「代金」を支払うということは、店主に「感謝」の意を伝えたり、店の営業に貢献することで賄えるものだったりします。
これが「お陰」と呼ばれるものです。
「お陰」とは「神徳」と言い換えることもできますが、店側に「奉仕」するから得られるお駄賃と言えます。
ここで大事なのは、「お陰」でのみ対価を払えるのであって、お陰をいくら貯めても店側とはイーブンの関係であり続けるということです。
ましてタダで手に入れられるものは何一つなく、客として「代金」を払うか「ツケ」をするかの二択しかないのです。
ここで問題なのが、ずっと「テイクフリー」の店だと信じて「ツケ」を溜め込んできた人たちです。
店主も鬼ではないので、これまでツケを取り立てに行くことはなかったのですが、いずれ「決算」をするために帳面を切らなければならない時がやって来ます。
これを「天地の引き上げ」と呼ぶのでしょうが、ここまで店の商品をずっと「自分のもの」だと信じてきた人には、「気の毒」なことになってしまうかもしれません。
だから、日月神示は一刻も早く「改心」するよう繰り返し伝えるのだと思います。
ただ、この店のやり方としては「ツケ」を払ってくれたらそれで良く、どんな客でも門前払いにはしないでしょう。
これが「借銭済まし」であり、そこから先はきちんと対価を支払っていく、この行為こそ「まつり」と言えます。
そして、「お陰」とは「神の道」を踏むことで得られるものなのです。