「身魂磨き」の方法

日月神示では、身魂の「掃除洗濯」について、こう述べられています。

「扶桑の巻・第十三帖」からです。

「自分の中の自分を掃除して、自分の外の自分を洗濯して磨けと申しているのぞ、磨けば神と同列のミタマぞ、釈迦ぞキリストぞと申してあろう、内にあるものを磨けば、外から響くものも磨かれた、穢れ無いものとなるのじゃ、中の自分を掃除しないで居ると、いつまで経っても、岩戸が開けていても岩戸は開けん」

 

地球の「次元上昇」と宇宙の「霊界化」が進む今、自らの「波長」のもたらす影響力は決して無視できるものではなくなっています。

まして「神の御用」をなし、「神世の礎」となるべき人々にとって、「身魂磨き」こそ最も重要な「御神業」と言っても過言ではありません。

 

「春の巻・第十一帖」では、こうも述べられています。

内の自分は神であるが、外の自分は先祖であるぞ、先祖疎かにするでないぞ、先祖まつることは自分まつる事ぞ、外の自分と申しても肉体ばかりでないぞ、肉体霊も外の自分であるぞ

 

「掃除すべき中の自分」とは「神としての自分」であり、「洗濯すべき外の自分」とは「肉体(霊)としての自分」ということです。

この二つ揃って身魂の「掃除洗濯」となるのですが、「内の自分」と「外の自分」を調和させることが「まつり」であり、身魂の「祓い清め」になるのです。

 

これを実践すると、自分の腹にある「ゴモク」と向き合い、「内の自分」を掃除するほどに、これまで「外の自分」がしてきた出来事がさまざま思い出されるでしょう。

これこそ実社会の中で「外の自分」として生きるうちに、歪んだ「念」を「内の自分」にお仕着せ、顕在意識として封じ込めてきた何よりの証拠です。

 

「身魂磨き」が進むほど、これまで思い出すことすらなかった、懐かしい古い記憶が鮮明に呼び起こされてくるはずです。

今ある「ゴモク」は、その記憶に直接繋がっていると言えないまでも、その頃に抱えていた「念」である可能性が高いのです。

 

こうして自分の中にある古い「念」を浄化していくうちに、ずっと昔に忘れていた記憶が甦り、その頃の失われた「自分らしさ」を取り戻していくことができるでしょう。

「身魂磨き」とは、「内の自分」と「外の自分」が互いに「和解」していくことであり、「内と外」が一つになるにつれて身魂は「◉」という本来の姿に戻っていきます。

 

そうなれば、遠慮して固くなっていた「大人」としての心が解け、まるで「子供」のように素直な、自然体の自分に戻っていけるはずです。

世の中がどうであれ、家族や友人に守られて何の心配もなかった、あの頃の「無敵感のある自分」になれば、今にできないことはないと感じるに違いありません。

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