日月神示では「神は裁きを与えない」と述べられますが、「黄金の巻・第十八帖」にも、こう書かれています。
「天国の門は貧者、富者の別ないぞ、別ある境界つくるでないぞ、世界中一度に揺すぶると申してあろう、釦ボタン一つででんぐり返ると申してあることまだ分からんのか、神罰は無し、道は一つ二つと思うなよ、無数であるぞ、新しき道を拓いてあるのに、何故進まんのじゃ」
神は「裁き」を与えないのですから、当然「罰」を与えることもないのでしょう。
「裁き」とは「有罪」か「無罪」かを選択することしかできないため、本来「二つの道」を示す他ありません。
確かに、神はそうした「裁き」を人にお与えになることはないのだと思います。
ただ、宇宙には「因果応報」という規則が働くため、一つの「行い」に対する「報い」が「無数」にあると考えれば、この文脈に矛盾はありません。
逆に言えば「神の裁き」が存在しない代わりに、全ての「悪行」に対して「報い」が与えられるということでしょう。
つまり、実質的には「等しく裁かれる」のと同様です。
ただ、この「裁き」の主体が「神」ではなく「宇宙に包括された自分」であることは、重要な意味を持ちます。
これまでの世は、悪が「闇から闇へと逃れることができた」と神示にはあります。
言わば「因果応報」は「自分で逃れられる性質のもの」であり、神示の言い方に変えれば「借銭」は「返さない」という選択もできたということでしょう。
それなら、借金をして羽振りが良くなり、その勢いで「力」をつけた者はますます借金を重ね、ただし利子や元本返済の滞納を続ける、ということもできたはずです。
それでは、正直にローンを返す人は元より、真面目にコツコツ預金をし続ける人にも「不公平感」が生じるのは当然です。
こんな仕組みがまかり通っていたのですから、長い間「闇の世」になってもおかしくないでしょう。
そして、天は「悪質な多重債務者」へ「裁き」をお与えにならない代わりに、これからルール通り「借銭済まし」を強制執行することになるのではないでしょうか。
そして、「返済する意思なし」「返済能力なし」と判断された債務者は「自己破産」に該当し、「宇宙銀行の口座を凍結する」という対応に至るのかもしれません。
そうなれば、「二度と世に出ることはできず」「身魂は灰になる」ことの記述の意味も通ります。
ここまで来ると「自業自得」、まさに「因果応報」の仕組みそのものだと思います。