私たちは生きているだけで「罪」を犯し、「穢れ」を負ってしまいます。
しかし、「罪穢れ」を負うこと自体が「悪い」ことなのではありません。
人間は生きるために生き物を殺して食べたり、肉体を交えなければ子孫を残すことができないように、「罪穢れ」は自然な生存と不可分なものです。
良くないのは、自ずと負ってしまう罪穢れに対して「祓い清め」を行わないことです。
この場合の「祓い清め」とは、「我」を浄化し「欲」を聖化し、自らの行いを悔い改める行為です。
食べ物にしろ、大して感謝もせずに捨ててしまったり、性に関しても時と場所と相手を選ばないから良くないのです。
ゆえにTPOをわきまえ、何をするにも順に従ってやる分には基本的に「自由」の範疇なのだと思います。
しかし、その自由を履き違えて、順が乱れたままになっていると、いずれ「禍事」に繋がってしまいます。
だからこそ、「祓い清め」とは「区別」でもあり、罪穢れに対してセットであるべき行為なのです。