神世の「礎」

天も地も、全ては「神」の現れなのだから、一つひとつに感謝をして生きる、日月神示の教えを要約すると、この一言に収まります。

 

こう説明しただけでも、言葉次第で子供にも伝わる内容であることがわかります。

これだけ「シンプル」なら、万民共通の知恵となることだって可能でしょう。

 

この教えは、「宗教」と考えるよりも「哲学」と言った方がしっくりくる気がします。

むしろ、もっと砕けた表現をすれば「生き方」と言えるかもしれません。

 

例えば、「食べ物には感謝して頂く」とか、「悪い人を憎まない」とか、「物事の順序は守る」、「人も自然も大切にする」、また「素直な心で生きる」とか、むしろ人として「当たり前」と言えることばかりです。

 

けれど現代においては、こうした基本的な「道徳」から外れ、むしろ無理難題ばかりであることに気づきます。

この教えを取り入れるにしても、一番の「壁」となるのは「神」の存在する世界観を受け入れることができるかどうかにあるかもしれません。

 

この教えは、わざわざ人に「日月神示」を一言一句読ませなくても、わかる人が言葉や行動、その他の表現で十分に伝えられる内容だと思います。

そして、おそらく「日月神示」はそうした用途を念頭にして降ろされたものであり、「ミロクの世」となれば神示は「用済み」となるような書き方になっている気がします。

 

それは「日月神示」がバイブルとして何千年も読み継がれるより、この教えが人の生き方に染みわたる方が御神意に近いからではないでしょうか。

「形」にこだわるのではなく、「基」こそ重要と考えるのも、いかにも「天之日月神」様らしいと言えるかもしれません。

 

私は、この教えを広めることが「神世の礎」となるのではないか、と考えています。

人々が「神の御旨」に添う生き方となり、その上で組み直される文明こそ、未来永劫「弥栄」するのではないでしょうか。

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