思えば、私の半生は「凸凹」だらけの不恰好なものでした。
ただ、その半生に「学び」を求めるならば、「人生に完璧はありえない」ということかもしれません。
私の若い頃は、何でも「完璧」にやりたがる癖がありました。
上手くいくことだけを数珠のように繋げて、あたかも「芸術」のような人生が送れると思い込んでいたのです。
けれど、本気で生きてみれば全く脈絡なく、失敗も多い「凸凹」だらけの人生を歩んでしまいました。
今となってみれば、「人生に完璧を求めることこそ幻想」であると断言できます。
これが私の人生前半における「学び」のテーマであったにせよ、こうした価値観で今を生きる人も多いはずです。
挫折なく汚点なく、「成功体験」だけで積み上げたキャリアこそ、人は「理想の人生」と考えますが、実際は自分の見せたい「形」以上に上手くはいかないものです。
それどころか、この世を生きる殆どの人は、人生の目的について「間違った解釈」をしているとすら言えます。
ただし「学び」を軸とするなら、「間違っている」こと自体が「正しい道」だったりするのです。
世の中がそうであるということは、これに気づき「学び」を得ることこそ、「人類の歩み」そのものと言えるからです。
このことに私が気づけたのは、「神の道」を踏むことで、立体的にものを考えられるようになったからです。
また、自分とは違う考えで生きる人に「優劣」をつけられないこともわかっています。
ただ、こうした考えを持つことで、人のあり方について「寛容」になることはできます。
そして少しでも、私自身が人々にとって「人生の向き合い方」のヒントとなるような、そんなきっかけになっていきたいのです。