世のため、人のため

毎日、神棚に拝む時に「世のため、人のために尽くさしめ給え」と祝詞を奏上します。

 

もし私がもっと「世のため」に行動しようとするなら、SNSアカウントでも始めたり、インフルエンサーと「コラボ」するなどして発言力を高めるべきかもしれません。

ただ、「世のため」にしたことが必ずしも「自分のため」になるとは限りません。

 

まず「自分のため」にやることが「人のため」になり、「世のため」になるようにすることが「いろは」だからです。

このスタンスでいると、なかなか評価や成果には繋がらないでしょう。

けれど、今の世は何でも「カタチ」となるものを出せば、すぐに対価を得られる仕組みになっています。

 

しかし、まず「型」を完成させてから作った「製品」でなければ、本来は対価を得るべきではないのです。

この「型」を造ることが将来的に「自分のため」になるのですが、私たちはしばしば、ここを飛び越えて中途半端なカタチでも出してしまいたくなるものです。

 

今、「どれだけ足踏みをしなければならないんだ」と焦る方がおられるかもしれません。

残念ながら今は「型」が求められる段階であり、それが「時節」というものです。

 

「時の流れ」こそ自分の思うようにはなりませんが、私たちが今できることは、いずれ「時」が来たらすぐに世に出せるところまで「準備万端」にしておくことです。

ここで辛抱を続けられるかに、「信念」の強さが関わってきます。

 

まして「臥薪嘗胆」こそが「世のため、人のため」に必要な段階なのだとしたら、この我慢こそ「自分のため」であったりするのではないでしょうか。

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