「救い」の意味

今の世は「理屈」が力を持ち、そこに「金」が結びついて「政治」となっています。

まさに世は「」、神示に言うように九分九分九厘が「悪」の世です。

 

私は、そんな世界の息苦しさを何とかしたいと思ってきました。

ただ最近は、私が先回りして有象無象の正体について説いて回っても、それ自体に大した意味はないのではないかと考えるようになりました。

 

天が世界に「夜」をもたらすには、それなりの理由があるはずです。

私は悩める人を救うには、遍く「光」を配るべきだと考えていました。

ただ、天が一人ひとり自分の力で「光」を取り戻すことを願っておられるなら、私が先回りして手を差し伸べることは、かえって天の意志を邪魔することになります。

 

「救い」とは、決して「甘やかすこと」ではありません。

宇宙には「苦」を与えるだけの理由があり、必然があるはずです。

いくら人が苦しんでいるからと言って、強引に「救い」を押しつけることは、自分が思う以上に野暮なことかもしれないのです。

 

確かに、世に「苦しみ」はないに越したことはありません。

しかし、この「苦」が敢えて天からもたらされたものだとしたら、苦難を乗り越えること自体に意義があり、そのプロセスを「大峠」と呼ぶのかもしれません。

 

だから私がしゃしゃり出て、人の手を引いて回ることを、神様は許されないのでしょう。

おそらく神々は、「救える」と思う人しか救うおつもりはなく、私は予め救われた人しか関わることができないのだと思います。

 

そう考えると、自分ができることの小ささを感じます。

ただ、それ以上のことを神々が望まれないとしたら、この世界には今「闇」が必要であり、「苦」を敢えてもたらすことに意義があるからではないか、そう思えるのです。

トップに戻る