今、政治の世界は「地獄的様相」を呈し始めているように見えます。
報道やメディアは事実をまろやかにコーティングし、絶妙に問題の浅い雰囲気を醸成していますが、この違和感が妙に「不穏」と感じられます。
こうした不透明な「危機」が、氾濫する娯楽と情報の裏で存在を広げていきます。
この不穏な空気に気づける人なら、「大峠・八合目」という表現にも違和感を抱かないのではないでしょうか。
私は、世に対する「批判」を弱め、「天国的世界線」へ至る判断を選んだことに、今でこそ間違っていなかったと感じます。
この「世界線の二極化」において、大抵の人は目に見える「危機」に心が支配されてしまいます。
しかし真の「危機」だからこそ、新しい時代を作る側にとって、あえて平和な「日常」へ回帰することが重要だったのです。
この世界へ「逆張り」を突き通すのは、並大抵のことではないと感じています。
そのため「胆力」が求められてきましたが、今となっては「誰一人ついて来なくてもやり通す」決意が固まりつつあります。
一年半前、私が「招神万来」を書き始めた時、今後見る人が「一人」いれば良いくらいの気持ちでした。
むしろ、どんな状況も神の御考えなのだとしたら、その御旨に従う以上に私がやるべきことはないのです。
今も「やることは変わらない」という感覚なので、なるべく結果を求めるスタンスは取らないようにしています。
私には「大望」があります。
まず、日本人が「あるべき姿」を取り戻し、本来の生き方を取り戻すこと、その姿は世界中の人に影響を与え、この世界はきっと良くなっていくことでしょう。
この「大望」を叶えるために「どうすれば良いか」は、神様にしかわからないことです。
そのため「人間心」でやり方を決めていては、「大望」を果たすことはできません。
「招神万来」は、瀬織津姫様とのお約束があったからこそ、あらゆる結果を無視して続けることができました。
そのスタンスは今も変わらず、これからも変える理由はありません。
だからこそ、私は「たった一人でもやり通す」つもりでいます。
世の人から見れば、私のすることはとても大丈夫そうには感じられないでしょうが、この世界を「真逆」の方向に引っ張るためには、どうしても必要なことです。
今いる読者の方をしっかり「天国的様相」の世界へ向かわせるためにも、逆に「孤立」を恐れない胆力こそ、私には求められていると感じるのです。