「悪魔」の生まれる理由

日月神示「黄金の巻・第八帖」の内容は、「外にあるもの内にあるぞ」という一文だけです。

私に対して霊的に「良くないもの」が近寄ってくるのも、自分の中に「邪気を引き寄せる何か」があることはわかっていました。

 

自分自身を疑う卑屈な心、神様にまで悪態をつきたがる自分、そうした「自分ではない自分」が腹の底で蠢いているのは、いつも感じていたのです。

 

今ようやく、「悪心の権化」とも言える感情の正体に気づくことができました。

本来あるべき人生を辿れなかった私自身」であり、幸せになるための努力を重ねながら、「運命」に抗えなかったために自分を曲げざるを得なかった「過去の私」です。

 

かつての真っ直ぐな願いは、「人並み」に歩み進むことができれば叶うはずのものだったかもしれません。

しかし「努力」ではどうにもならないような出来事に遭遇しては、自分の力では到底及ばず、道を変えなければなりませんでした。

 

その度に折れてしまった心をどうしたかというと、「腹の底」に押し込めて無かったことにしてきたのです。

心の奥に仕舞い込んでしまった「折れた自分」こそ、無意識に暴れ出す「悪心」の正体だったことに気づきました。

 

人間はおそらく、幾重にも連なった「人格」によって、一つの肉体に収まっているのだと思います。

それが自分自身であっても、霊体の一部が「悪霊化」してしまうことがあり、これが心の中で「自分ではない自分」を作り出してしまうのではないでしょうか。

 

しかも、その悪霊を生み出した自分の「念」が、真っ直ぐで強いものであるほど、裏返った時の反動も大きいのかもしれません。

もしかすると、「悪魔」という存在がこうして生み出されるとしたら、「悪」は「善」の心が曲がることでなり変わるものであり、ゆえに本来は「善」の性質を持つものだった可能性があります。

 

私がお伝えしてきた「悪は善の一部」というのも、これに矛盾する話ではないでしょう。

こう考えると、「悪霊」とは絶対に払うべき「敵」としてではなく、歪むには歪むだけの経緯があったことを慮る余地があります。

 

私の「挫折体験」は、今思えば「どうしようもなかった」と言い切ることができます。

ただ、そんなことが当時の私に理解できるはずもなく、「運命」に準ずるほど私の心は深く傷つき、捻じ曲がっていったということなのでしょう。

 

ここまで長い時間をかけ、徹底して心を見つめなければ「自分」という存在はわからないことを、改めて痛感します。

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