「憑依」と「感応」

私たちから見て「憑依」と感じる大部分は、外部に存在する霊との「感応」と考えて間違いないと思います。

つまり「霊が身体の中に入る」ものではなく、干渉してくる霊の波長と「呼応(共鳴)」することで、外在霊が心身に直接影響を与えてくるように「錯覚」してしまうのです。

 

 

 

上の図は、以前「招神万来」の記事で使用したものです。(※右下の文章で「精気体」となっている部分、正しくは「霊気体」です。)

 

人の魂は「大神」から与えられた「分御霊(わけみたま)」であり、日月神示の表現を用いると「◉」の中心「・」になります。

「・」は拡大すると「◉」となり、また「神霊体(◯)」と「分御霊(・)」の二つに分けられます。

 

簡単に説明すると、中心の「・=◉」を取り囲む「◯」の内側が「霊体」であり、最も外側の部分が「肉体」となります。

「霊体」と「肉体」は存在するレイヤー(次元)が違うため、この二つを繋いでいるのが「霊気」と呼ばれるものです。

 

人間の「肉体」には「霊気」が取り巻いており、「感応」は外部に存在する「霊」と、自らの「霊気」が触れることで起こります。

実は、この世はあらゆる霊との接触を避けられないほど緊密(過密)の状態であるため、要は特に「感応する」条件がそこにあるということになります。

 

日月神示に「外にあるもの内にあるぞ(黄金の巻・第八帖)」とあるのも、自分を構成する「◉」の「・(キ)」の部分に、「感応」を招きよせる性質があるからです。

自分から見れば、「霊」が勝手に自分のところに集まって「霊障」を及ぼすように感じますが、実際は「・(キ)」の波長に近い霊が「共鳴」し、その霊との「共感」によって心身の変調が起こると言えます。

 

神示によると、「◉」の中の「・」に邪霊は入り込めないため、厳密な意味での「憑依」は存在しないとされます。

しかし「・」を取り巻く「霊体」は、外在霊との「感応」が長期かつ深刻になるほど「自他」の境界が曖昧になり、「霊体」の波長が外在霊の性質に染まりきってしまいます。

これが一般に「憑依」と呼ばれる現象です。

 

ちなみに、図で示した「霊体のエアポケット」とは「霊体」と「肉体」の波長のズレを意味し、「憑依(霊感)体質」と呼ばれる人はこの隙間が大きいため、「共鳴する波長域が広い=霊に感応しやすい」と言えます。

 

外在霊との「感応」の循環、身魂との「共鳴」を止めることこそ「祓い清め」と言えるでしょう。

「外から寄ってきた邪霊」を払い除けることに本来の「祓い清め」があるのではなく、「◉」の「・(キ)」を清めることで「因縁を断つ」ことに真の目的があるのだと思います。

 

最後に、長くなるのですが神示「碧玉の巻・第六帖」から、「祓い清めの極意」が述べられている箇所があるので、それを引用して終わりにしたいと思います。

 

「禍いと言うものは無いのであるぞ、光を忘れ、光に背くから嫌な事が起こるのじゃ、影が差すのじゃ、禍とか、悲しみとか言う暗いものが無いのが誠であるぞ、中心は無と申してあろう、中心は見えんから、分からんから、外のカスばかり見ているから、つまらん事でつまらん事が起こって来るのぞ

その見えぬ力が永遠の生命と現われるのであるぞ、見えるものは有限じゃ、この世の大泥棒をタカヤマじゃと申して、この世を自由にさせておいて良いのか、元の元の元をよく見極め、中の中の中の見えぬものを掴まねばならんぞ、そこから正さねば、外側からばかり清めても何もならん

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