自分の「気」が枯渇するのは、そのエネルギーが自分の汲み上げたものではなく、「神」から与えられた、預けられた有限のものだからです。
つまり「借り物」だから、人にあげたり自分で使ったりすると無くなるのです。
私たちの身魂の「・(キ)」は「無=無限」に繋がっているため、借り物ではなく自分のものとして、本来ならこのエネルギーを自由自在に汲み上げることができます。
ただでさえ人は「借り物」の霊気で賄っているのに、この「キ」の一切を自分で汲み上げることをせず、完全にアウトソーシングする人がいます。
これが俗に「エナジーヴァンパイア」呼ばれ、他人から気を吸い取り、奪うことで自分の活力に変える人たちのことです。
しかし、理論的に言えば「・(ム)」からは無限に「気」を汲み上げることができるのですから、逆にそうした人々に「無際限」に力を提供することもできるでしょう。
疑義が生じそうですが、そうしたことも前提にして「与える」ことに徹するのが、日月神示にある神の政、「与える政治」です。
「それなら横着者が、ますます依存を強め、寄生することに自信を持つだけだ」と普通は考えます。
まして、「タダ」で貰えるのを良いことに、ますます肥え太ろうとするかもしれません。
しかし、この発想こそが「人間心」であり、むしろ神の目線からすれば、これ以上の善政はないようなのです。
ここまで「善」に徹してこそ、「悪は抱き参らされる」のでしょう。
逆に考えると、「与えて無くなるもの」は全て「自分のものではない」ということです。
自分のものであって、「無限」に汲み上げてこれるものであれば、いくら与えても「損」にはなりません。
自分は与えることで「嬉し」となり、貰った者も得をして「嬉し」となり、双方が「嬉し嬉し」になるからこそ弥栄えるということなのではないでしょうか。
ゆえに、「無限にあるもの」は無際限に与えることができるのです。
これを実践するのが「神の政治」ならば、そのあり方が見えてきそうな気がします。