「HARAEDO」の1Pシリーズ「祓戸劇場」の第四帖、タイトルは「乙女の花薗」です。
子供は正直。
この世界を神が造り給われ、神々が治めてきたのは列記とした事実です。
しかし、この物質宇宙の中心に存在するのは「人間」であり、人間という神々の支配する世界なのです。
この世の「神」が人類なのだから、天の神々からすると自分たちの住む世界ではない訳です。
だから地上のことは人類に任せておくのが本筋ですし、天の神々は基本的に「放任主義」なのだと思います。
地上における秩序の維持には神々も強く関わっています。
しかし、これまでの時代は「悪神」や神に仇なす者たちが支配を強めようとし、人々は人々で好き勝手にやろうとしてきました。
いよいよ「それでは持っていかれない」という段になって、大神が直接統治をするための「三千世界の大洗濯」が始まっているのが今です。
ただ、神世になったとしても基本的に神々の「放任主義」は変わらないでしょう。
それどころか、神様方は「楽隠居」なさるおつもりで地上の改変を進めておられるようです。
現実的に考えて、闇の勢力の影響力が削ぎ落とされ、唯物論に偏っていた人類が「神は存在する」という認識が一気に広まることで、もう地上の「楽園化」は成し遂げられたも同然というお考えなのかもしれません。
確かに、戦争も平和も人々の考え方一つ、世の仕組み次第です。
その内側にいるのは神様ではなく人間なので、私たちがどうにかしなければいけない問題なのは、どの道変わらないのではないでしょうか。
最近、だいぶ霊的な体感が変わってきたのを感じます。
これまでの日常では、邪気邪霊のアプローチを強く感じる傾向にあったのですが、最近は良くも悪くも人々の「念」の方が感じやすくなっています。
これは世界線の「二極化」によって、邪気邪霊の及ぶ幽界的な波長と神世側に向かう人々の波長との分離が起こることで、霊性の干渉域が変化しているのだと思います。
つまり、「悪神」の支配が強い霊域から大体の人が離れつつあることを示しています。
逆に、神世に進む側の人たち同士の、霊的な相互干渉が強まっていることを意味します。
「念」というのは、良い性質も悪い性質も含み、ほぼ無意識の反応が霊体から送り出される「生き霊」の一種です。
そのため、生き霊を飛ばす本人に自覚はないのですが、受ける人はないまぜになった念を受けるため、未分化の霊的状態で感応が起こることになり、当人としては少しわからない感覚になります。
ともあれ、数日前から私が言っている「世界の半霊化」の現象の一部だと思いますし、それだけ神世側の人々の霊人化が進んでいるのだと思います。
おそらく、これから世の中はまるで「漫画」みたいなことばかり起こるようになってくるのではないでしょうか。
そんな不可思議な現象にも慣れてくるようになれば、いよいよ「岩戸開き」が近いと考えて間違いないと思います。
明日27日、「HARAEDO」1Pシリーズ「祓戸劇場」の第四話を公開します。
タイトルは「乙女の花薗」、主人公は「速秋津姫命」こと「あきつ姫」です。
予告として、制作中の下描きの一部をお見せします。
このコマの花は、神界だけに咲く特別な花という設定です。
だいたい、毎回ネームで構図決めをした後、人体デッサンをしてから「本下描き」に入り、要は下描きを二回して線画に入ります。
当初の「HARAEDO」は、神様を題材とするため「文科省推薦作品」になるような、肩ひじ張った作風をイメージしていました。
ところが、いつの間にか「アンパンマン」と「プリキュア」と「ヘボック」を混ぜ合わせたような作風に落ち着いてしまい、どうも官僚ウケするのは難しいかもしれません。
仮にこの作品で有名になっても、神社本庁から苦情が入ったらどうしようかと考える時もあります。
私自身は、「ベルセルク」とか「無限の住人」みたいな、硬派な漫画を描きたいと常々思っています。
しかし、そもそもそういった画風を再現することができないので、本当に人生は思うように行かないものです。
本日4月26日より、いよいよ「天王星双子座時代」が始まります。
26日以降の気流が見えづらかったので、この切り替わりのボイドにある間は、5月2日「満月」の象意もはっきりしなかったのですが、今日になり少しずつ見えてきました。
5月2日の満月は「蠍座」で起こります。
この時のエネルギーを霊視した時、地上で行楽地のような人だかりが見えました。
これは別にゴールデンウィークだからではなく、霊的な次元ではそれだけ人々が活気を取り戻しているということだと思います。
逆にイラン戦争での和平交渉は頓挫し、エネルギー供給の途絶は深刻な問題となり、景気後退が目前に迫っています。
人々はなるべく大人しくGWを過ごすことになりそうですが、経済活動に熱はなくても、深層心理的な面では「解放」に向かっているのかもしれません。
「蠍」は、脱皮する生き物です。
また、蠍座の支配星である「冥王星」は、破壊と再生を司ります。
特に日本人の心の中で、「古い自分からの脱却」がテーマとなるのが、5月2日蠍座満月だと思います。
ただ日本以外の国では、逆の様相を呈するかもしれません。
蠍座には「執着」の象意があります。
外国では「選択と集中」が進み、逆に攻撃力と外殻を強化するような流れになることも考えられます。
目に見えるものと、目に見えないものとのギャップがますます生じてくると思われ、注意が必要です。
そして、「解放」に向かう人々と「執着」に向かう人々との乖離も、より顕在化してくるはずです。
これまで、優しすぎるあまり深く傷ついたり、素直すぎるあまり悪い人に都合よく使われた人たちを沢山見てきました。
また、彼らが心に光を取り戻せないまま、苦しむ姿も見ました。
かつての自分もそうであったように、これ以上誰かを同じ目に合わせたくないのです。
かと言って、今の世を無理矢理に良くしようとしても、大抵の場合は「善意の押しつけ」にしかならないでしょう。
仮に子供たちからスマホを取り上げても、代わりになる何かを見つけてあげることすらできないからです。
「優しさ」や「正義感」が世を改める情熱になりえたとしても、かえって世を乱すことに繋がってはいけません。
大事なのは、早く世の中を変えることではなく、確実に世の中を良くしていくことです。
私は焦りのあまり、ここを見落としがちになることがあります。
神の道「一二三」の難しさは、順を乱せばかえって「悪」となり、順に従えばかなりの自制心を求められるところです。
だからこそ、常に「風」を読み、じっと耐えることが大事なのです。
誰かが煽ってきたり、周りに急かされても動じないくらいの胆力を求められるのが「一二三」です。
この苦しすぎる一本道をひたすら歩むのが、「神の道」なのだと思います。
3月19日の新月から、私は「浄財が始まった」という話をしています。
現にイラン戦争によるホルムズ海峡閉鎖により、世界中から流動性の枯渇、いわゆる「お金」の流通速度の低下が起きています。
この状況は、簡単に言えば神様が「贅沢はやめなさい」と仰っておられるようなものだと思います。
神様は、この節約文化を根づかせ、そのまま「神世」での金銭感覚に持っていきたいのではないでしょうか。
こう言うと、確かに反感を持たれるかもしれません。
しかし、これから「お金」のあり方そのものが変わるのだとしたら、これまでのお金の使い方ではいけないのではないでしょうか。
今、世界に流れている金融的な意味での「カネ(マネー)」は、資本の損失を重ねながら実質的にどんどん目減りをしています。
これは確かに、お金持ち以外の全ての人には痛みを伴いますが、消失した「カネ」のエネルギーは見えないところで「キン(金)」に変わっているのです。
「カネ」から「キン」へのお金の本質的な変化こそ、「浄財」の真意に他なりません。
この「キン」は、次の時代で流通するお金なので、現段階で目に見ることはできないのですが、霊的な変換が起こっていると考えて良いでしょう。
「キン」は「気(・)」からやってくる性質のものなので、小手先で手に入れられたはずの「カネ」とは性質が異なるのです。
そして、この「キン」の巡りが「金運」となり、「気」から生み出される性質のものになります。
今、景況として「儲けよう」とするほど厳しい状態だと思います。
こんな時ほど未来に貯金するつもりで、心を改め「キン」を呼び込む気持ちでやってみたら、近い将来に良い巡りがやってくるかもしれません。
槇原敬之さんの最新作「夢でよかった」という曲をよく聴いています。
槇原さんの愛犬との生活を歌った曲なのですが、槇原さんが眠っている時「愛犬が去る」良くない夢を見た、と語られます。
愛しい家族が去る悪い夢は「大事なものは何か夢で教えてくれるんだ」と歌詞にあり、「これが神様のやり方なの?」と続きます。
素直に聴くと、愛犬の「死」を夢で見たからこそ、ますます大切であることに気づくのだ、というメッセージが伝わります。
しかし、頭の良い槇原さんのことですから、本当は「いくら愛しい家族でも、いつかは別れなければならない」という、「大事なこと」を神様がご忠告されていると、そう受け取っておられたのかもしれません。
それでも今、目の前には愛しい家族がいて、そんな毎日が続くことに喜びを感じる、という曲なのでしょう。
そんな切なさがありながら、優しさと感謝の溢れた、槇原さんにしか作れない素敵な曲だと思います。
誰よりも「大切なもの」を人に捧げてきた槇原さんだからこそ、これからも沢山の大切なものたちに囲まれて心安らかであって欲しいと、私は勝手ながらそう思ってしまいます。