日銀、円買い介入

どうやら本日30日夜、日銀が円買い介入に踏み切ったようです。

円が一時155円台後半-片山財務相、直前に「断固たる措置」警告

 

前回の円買い介入は2024年7月11日、当時の米ドルは最高値、円は最安値となる1ドル161.6円でした。

日経平均株価は4万2224円、当時の史上最高値をつけていました。

 

その直後からドル円は円高の方向に、日経平均は下落の方向に急転換し、8月5日頃に米国債が大暴落、S&P500が10%近く急落する契機となりました。

 

7月16日にS&P500は当時最高値の5667ドルとなっていましたが、7月25日には5399ドルまで下落しました。

一旦そこから回復したものの、8月1日から急落に転じ、8月5日には5186ドルまで落ち込むことになり、当時SNSでは「AIバブル崩壊か」と騒然となったのを覚えています。

 

詳しくは、経済アナリストの増田悦佐さんのブログの記事をご参照下さい。

日本はこれからどうなるのでしょうか? | 増田悦佐

 

2024年7月31日、日銀が利上げの決定をしたのが介入から2週間後になります。

もし、ここから円キャリートレードの巻き戻しが始まれば、米国債売りに拍車が掛かり、リスクオン状態の米株市場にも2024年同様、何かしら影響があるはずです。

 

今回もそうとは限りませんが、現在の米国株式の好調は「円を売って買ったドルで株を買う」という、日本国民の富の移転によって賄われているという事実は、知っておくべきだと思います。

「餅は餅屋」

最近、少し前まで「やらなければいけない」と考えていたことに対して、少し距離が取れるようになってきました。

 

大抵の場合、「自分のテーマではない」と感じるからです。

これはおそらく、私が勝手に責任感を感じていた問題に対して、自らのテーマに据えて動いておられる方が実際に増えたからだと思います。

 

特に、女性の権利問題や子供の置かれる環境に関しては、ますます看過できない問題になっています。

世界情勢にいかなる変化があろうと、この社会問題が手つかずのままでは本末転倒です。

 

私があらゆる方面に口を出したところで、浅く中途半端な状態では何一つ解決できないと思います。

その点、ご自身のテーマとして真剣に向き合う方がおられるなら、専門のことはプロにお任せするべきです。

 

これも「祓い清め」の一つかもしれません。

 

もちろん、我が国の問題は社会構造のみならず、「政治」という統治機構そのものに直結しています。

私は神様方の雰囲気を察するに、「代議制民主主義」自体の見直しがこれから入ることになると思いますし、神々が敢えて現代を「悪平等」の世になされたとしたら、その代替もきちんと考えておられるはずだからです。

 

もっと、たくさんの人が「世直し」に動き始める必要がありますが、それも時間の問題で、いずれそうなっていくと思います。

イスラ十二の流れ

日月神示に言う「世の元の神々」が、「雨の神」や「風の神」など10柱の神々に加えて、「スの神」を合わせた11柱であると話をしました。

 

「雨の巻・第一帖」には、こうあります。

「この道は只の神信心とは根本から違うと申してあろうが、三千世界の大道だぞ、所の洗濯と身魂の洗濯と一度になる所あるぞ、「イスラ」の十二の流れの源泉みなもと分かる時来たぞ、命がけで御用つとめていると思って邪魔ばかり致しておろうがな、金や学や智では大峠越せんぞ」

 

もしかして、「世の元の神々」の総数11に、「イスラ」の神を加えて「12」となるのではないでしょうか。

 

「御三体の神」の一柱であり「竜宮の乙姫」とされる撞賢木向津姫命は、日本神話では「火之迦具土(ひのかぐつち)命」であり二柱の末弟(妹)と考えられます。

二柱からお産まれになられ、「乙姫」までの間に「7柱」の龍神がおられるとすれば、「雨の神」などの名称で呼ばれる自然神が、御三体の神々の変化なされたお姿と限定する理由もなくなります。

 

「撞賢木向津姫命」の御神能は、二柱の御神力を半分ずつ受け継いでいると思われます。

同じように、「荒れの神」「岩の神」「木の神」などの自然神も、二柱の御神能の一部を受け継いだ龍神と考えれば、この10柱の神々は「御三体の神」の別の定義とも、その名の通りに自然を司る龍神とも取れるのです。

 

「龍神の一族」の10柱に根源神の「スの神」を合わせて11柱とすれば、この地球を司る「世の元の神々」の総数とは考えられないでしょうか。

 

「イスラの神」が何者かと問うならば、二柱が成婚後に初めてご出産なされ、ただ「順」を違えたために不具の子としてお産まれになられた「ヒルコ神」の可能性があります。

「ヒルコ」とは「日(火)+る(接続助詞)+子」の意とすれば、一番最初にお産まれになられた長子が、天神の一族の正統後継者であってもおかしくなかったはずです。

 

しかし、おそらくヒルコ神は「◉」の身魂を持ってお産まれになることができず、「◯」の神であり、ゆえに「偽の神」と言えます。

この神が「幽界」の守護神とすれば、「悪神」によって世界を惹き起こされる、あらゆる出来事に説明がつきはしないでしょうか。

 

このイスラの神が、現「イスラエル」の守護を司ると言っている訳ではありません。

「金や学や人智」に喩えられる、「◯」の性質を極化させる力こそ「イスラの神」の御神能であり、かの神を「抱き参らせる」ことこそ、大峠の本質なのかもしれないのです。

岩戸開きの「役員」

日月神示「上つ巻・第十三帖」からです。

「元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合わせて五十九の身魂あれば、この仕組みは成就するのぞ、この五十九の身魂は神が守っているから、世の元の神懸かって大手柄をさせるから、神の申す様に何事も身魂磨いてくれよ、これが世の元の神の数ぞ、これだけの身魂が力合わせて、善き世の礎となるのぞ」

 

「元の人三人」とは、「御三体の大神」であられる「天御中主神・高神産日神・神産日神」が転じて「伊弉諾命・伊奘冉命・撞賢木向津姫命」の三柱を意味します。

 

「その下の七人」とは、「手足」などを一柱と換算した時の「一人」であり、おそらく日月神示を降ろされ、初代「神人」であられた「岡本天明」氏その人を指すのだろうと思います。

「その下に七七」とある、私が言う「地の岩戸開き」に必要な役員の数「七人の神人」と、御三体の神々、初代神人の岡本天明氏を合計して「11柱」となります。

 

神示には「十柱の神々」という表現が頻出し、「大国常立大神」を筆頭に「雨の神」「風の神」「荒れの神」「岩の神」などが列挙されています。

この十柱に「御統(みすまる)の神」こと「スの神(・)」が合わさり、一〜十に「・」を加えた「十一柱」となるのです。

 

「元の人三人」より他は八柱の「神人」となりますが、瓊々杵命の「天降り」に同行した天津神は、以下の8柱です。

 

・思金(おもいかね)神

・石凝姥(いしこりどめ)命

・玉祖(たまのおや)命

・天児屋(あめのこやね)命

・布刀玉(ふとだま)命

・天手力男(あまのたぢからお)神

・天細女(あめのうずめ)命

・天石門別(あまのいわとわけ)命

 

また、日本神話において「天の岩戸開き」に立ち会った神々は、以下の7柱になります。

 

・思金(おもいかね)神

・石凝姥(いしこりどめ)命

・天津麻羅(あまつまら)命

・天児屋(あめのこやね)命

・布刀玉(ふとだま)命

・天手力男(あまのたぢからお)神

・天細女(あめのうずめ)命

 

この七柱に、「岩戸隠れ」の原因となった「素戔嗚命」を加えると、8柱となります。

 

「海の巻・第十三帖」には、こうあります。

「表に出て居る神々様に和合して貰って、世の建て替えにかかって下されよ、苦労無しには何事も成就せんぞ、苦を楽しめよ、この世を乱したのは神界から、この世を乱した者がこの世を直さねばならんのだぞ、この道理分かるであろうがな、建て直しの御用に使う身魂は、この世乱した神々様であるぞよ

 

岡本天明氏始め、役員の過去世が「この世乱した神」であるとは言い切れないでしょうが、神話の神々が「7柱ないし8柱」であることを踏まえれば、「元の神々」を合わせて「11柱」、「二十二(富士)」の半分の数字となり、すなわち「天」に対する「地」の数字となります。

 

従って、現代において必要な「役員=神人」の数は「七柱」と言えるのです。

「岩戸開き」後の世界

「天の岩戸」が開かれた神界では、天日月大神による「火と水=(火水・かみ・神)」の統治が行われていると考えられます。

 

現在に至るまで、「天」は伊奘冉命、「地」は伊弉諾命がそれぞれ分担して統治を行う体制だったのでしょう。

それゆえ地上は、伊奘冉命が司る天の力を借りることなく、「月読命・素戔嗚命」の御神能を有する伊弉諾命と地の神々の力だけで、この世界を治めておられたのだと思います。

 

二柱の御子神であられる撞賢木向津姫命は伊弉諾命の補佐に立たっておられたものの、「真の天照大御神=伊奘冉命」の御神力が及ばぬ地上では、神々による完全な浄化が果たせなかったのではないでしょうか。

 

天の岩戸は開かれていても、地上を支配する伊弉諾命にとって、「水」の御神力と撞賢木向津姫命の半分の「火」による浄化しか働かない状態では、完全な「闇」は祓い清めきれなかったのだと思います。

これが3000年続いたとされる「闇の世」の正体ではないでしょうか。

 

神界では1945年に天の岩戸が開き、神国で伊弉諾命と伊奘冉命が邂逅を果たすと、伊弉諾命は「火の司宰神」の御神力をもつ「天日月大神」となられました。

おそらく神界でも岩戸開きまでは、伊弉諾命の「水=智・真」の神能の欠如が混乱をもたらしていた可能性があります。

 

天の岩戸開き後は、神界に不足していた「水」の浄化の力が地の神々からもたらされることで、大神が本来の統治能力を取り戻したのでしょう。

現在の地上世界では未だ岩戸が開かれていないため「水」中心の浄化作用であり、「火」の浄化の力は弱いままと考えられます。

 

地上を治める伊弉諾命が伊奘冉命の助力を得て「火」の浄化までも司るようになる時、この世で完全な「火水(神)」の御神力が及ぶことになります。

2029年「地(くに)の岩戸」が開かれることによって、伊弉諾命は「天日月大神」としての御神力を発揮することが可能となり、「火の雨(光)」を存分に地上に注ぐことができるようになるのです。

 

これが日月神示にいう「ミロクの世」たる所以であり、地上世界が伊奘冉命に代わる「真の天照大御神」の再来と共に、全世界が本来の姿を取り戻す時代なのでしょう。

大きな「嘘」

小学生の頃、友達と一緒に川に釣りに行ったことがあります。

天候として魚釣りには相応しい日とは言えなかったのですが、私たちはしばらくして橋の下でおじさんに呼ばれました。

 

釣り人のおじさんは「大漁」だったらしく、カゴがいっぱいだから魚を持っていってくれという話でした。

友達は快く引き受けて、「魚がたくさん手に入ったから帰ろう」と言い始めました。

 

私は、魚釣りを楽しみに来たのであって魚が欲しかったわけではありません。

けれど、なぜか友達は「目的」を果たしたかのように満足して、みんなで魚を分け合って午前中に解散しました。

 

私はどうも腑に落ちなかったのですが、当時の私には何となくモヤモヤする理由がわかりませんでした。

母に魚を釣らないで帰ってきたことを正直に話す気にならなくて、「たくさん魚が釣れた」と嘘をつきました。

 

思えば、これが私の人生で初めてついた「大きな嘘」です。

 

今、自分のやり方はどうあれ「目的を達成すれば良い」と考える人がいます。

もちろん、目的を達成することは立派なのですが、当初の動機が何だったのかも大切なことです。

 

最終的に到達する地点は同じかもしれませんが、その途中で大事なものを見落としてしまえば、結果は同じでも全く違う「道」を歩んでしまうことになります。

今、この時代だからこそ「スタート地点」がどこであったかを思い出してみるべきなのかもしれません。

神様のいる世界

この世界を神が造り給われ、神々が治めてきたのは列記とした事実です。

しかし、この物質宇宙の中心に存在するのは「人間」であり、人間という神々の支配する世界なのです。

 

この世の「神」が人類なのだから、天の神々からすると自分たちの住む世界ではない訳です。

だから地上のことは人類に任せておくのが本筋ですし、天の神々は基本的に「放任主義」なのだと思います。

 

地上における秩序の維持には神々も強く関わっています。

しかし、これまでの時代は「悪神」や神に仇なす者たちが支配を強めようとし、人々は人々で好き勝手にやろうとしてきました。

 

いよいよ「それでは持っていかれない」という段になって、大神が直接統治をするための「三千世界の大洗濯」が始まっているのが今です。

 

ただ、神世になったとしても基本的に神々の「放任主義」は変わらないでしょう。

それどころか、神様方は「楽隠居」なさるおつもりで地上の改変を進めておられるようです。

 

現実的に考えて、闇の勢力の影響力が削ぎ落とされ、唯物論に偏っていた人類が「神は存在する」という認識が一気に広まることで、もう地上の「楽園化」は成し遂げられたも同然というお考えなのかもしれません。

 

確かに、戦争も平和も人々の考え方一つ、世の仕組み次第です。

その内側にいるのは神様ではなく人間なので、私たちがどうにかしなければいけない問題なのは、どの道変わらないのではないでしょうか。

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