3月20日の春分以降、ガラっと体感が変わった方も多いかもしれません。
私も考え方だけでなく、行動習慣にも大きな変化がありました。
その一つが、「絵語」を始めたことかもしれません。
私の「悪い癖」は、常に「人目」を気にすることにありました。
言ってみれば「見栄っぱり」という性格と向き合うことが、ここ最近のテーマの中心にあったのです。
「人の目を気にせず自分を貫く」というのは、往々にして誰からも相手にされなくなるものです。
大体の人はその孤独感に耐えきれず、またそれほどメリットも感じないため、衆人環視に迎合する道を選びます。
しかし、ここで「自分は自分、他人は他人」という割り切りを徹底するのが「祓い清め」なのです。
孤独感と向き合い、社会的な孤立を乗り越えて「自分」たろうとすることに「自己の純化」があり、それが「神の道」を歩むことになります。
これを実践すると、次第に世を捨て「人間離れ」していかざるを得ないことに気がつくはずです。
そこまでして、神と人の境目の領域「奥山」に入っていくことができます。
そして、「人間」としての自覚を捨て去り、自分の身の回りに「神」が存在することを知覚できるようになる場所、そこが「大奥山」です。
人の世から離れたことの孤独は、周りに存在する「目に見えない者たち」との絆によって、完全に代替されるのです。
これは正直、かなり厳しい修行と言えます。
実際に味わう孤独感もさることながら、人間社会でやっていく自信も無くなり、逆に「どうやって生きていくか」に悩みます。
だから「やってみたい」くらいの気持ちでは、殆どの人が耐えきれないと思います。
私はここで悶絶する毎日を送っていますが、それでも「出口」は見えつつあります。
「神と人」が一体となることは、「宇宙」とひとつになるに等しいのです。
日月神示にもあるように、その境地まで達すれば草や木や空も「友」であり、見知らぬ人も悪神も「自分」と言えるようになります。
そこまで辿り着けば、「孤独」は孤独ではなくなるのです。
また、常に「神」が側にいて下さる、そんな感覚は人間社会で育ちながら「神社会」の中に生き、神々の中に居場所を見つけることでもあります。