僕が僕であるために

尾崎豊さんの作品に「僕が僕であるために」という曲があります。

この曲のメッセージは、普通に聴けば「自分であるために、大人との戦いで勝ち上がらなければいけない」という風に受け取れます。

 

けれど、私はこういう意味にも解釈できると思います。

自分であるために立ち向かうべき敵は「孤独」であり、「勝たなければならない」のは「自分自身」であるということです。

 

自分であるため大人や社会に反抗する以前に、まず「長いモノ」に巻かれたくなる自分の弱い心と戦わなければなりません。

勝利しても誰も褒めないような、何も得られないような戦いこそ「自分が自分であるため」の戦いであり、真の「勇気」を必要とするものです。

 

これこそ、日月神示にいう「戦」であり、内なる自分と向き合う「神の道」なのではないでしょうか。

この戦が「祓い清め」であり、自分をひたすら純化していく、「無」に向かっていくための試練なのです。

 

恐ろしいほど、ひたすら戦いに明け暮れた末に、勝ってもまるで得るものがないような道です。

ただし、この戦いを潜り抜けてこそ、本当の「自分」になることができるのだと、私は思います。

「悪」に感謝できるか

自分に悪い出来事が起こったり、良くない「気」を感じる時、自分にまとわりつくものは自身の存在を通して、己に悪い部分があることを知らせてくれます。

 

自分の心や行いに悪いところがあるから、近い性質のものが引き寄せられて、良くないことが現実に起こります。

これは「シグナル」であり、この仕組み自体を壊すことはできません。

宇宙開闢以来、私たちは「禍事」を通して物事が進む仕組みの中にあるからです。

 

だから、自分の良くない部分を教えてくれる「悪」には、感謝の気持ちでいなければならないのです。

自分を成長させてくれてありがとう」という心境に至ってこそ、全てが一列一平になるのでしょう。

 

しかし、目の前に起こる不正や欺瞞、あらゆる悪事が罷り通るのを見ると、そうは言ってもという感情を抱いてしまいます。

頭では考えていても、抽象的には納得できても、現実でめぐり逢う理不尽な出来事に感謝するのは、とても難しいことです。

 

それほど「神の道」は多難で、思う以上に一筋縄ではいきません。

だからこそ、一度やそこらの人生ではなかなか終点まで辿り着けない、これが人が神に近づくための試練なのだと思います。

祓戸劇場・第三帖

「HARAEDO」シリーズ「祓戸劇場」の第3話、タイトルは「神オーディション」です。

 

 

いぶき親衛隊・メンバー構成

・たなばた姫…隊長

・うさぎ姫…参謀

・ねこ姫…いやし係

・きつね姫…いぶき係 ←NEW!

個の「岩戸開き」

あくまで私の個人的観測なのですが、2020年頃からモヤモヤした問題を抱え、実際に心理面でも社会面でも停滞期にあった人たちの多くが、そろそろ「目」が開いてくる時期に入ったかもしれません。

 

「目」が開き始めてから「個の大峠」が始まるとも言えるのですが、本格的に目が開かれたと感じられるハッキリした状態こそ「個の岩戸」が開けたと言って良いでしょう。

 

「岩戸開き」によって起こる変化は身魂の質によって異なり、誰しもが「神懸かり」を経験するとは限りません。

身魂の相当に応じて、覚醒の規模も感じ方も違うのです。

 

いずれ全人類の岩戸が開かれ、誰しもが「神人」になれる時代は訪れるでしょう。

しかし、何度か輪廻を繰り返す必要のある人が殆どで、そんな時代が訪れるのはおそらく数千年先の話です。

 

それでも、これまでの「惑い」の時代を終えたという事実は、それだけで悟りに匹敵する前向きな変化となるでしょう。

この目覚めの前後では、目に見える世界も異なり、また人生に対する見方も変わってくるはずです。

 

そうなってからが、今生における真の始まりなのですが、これに年齢は関係ないのです。

「幸せ」とは何か

人は近い将来に「幸せ」を夢見て、毎日励みを続けます。

時には未だ叶わぬ日々のために、今を犠牲にすることもあります。

 

しかし、私たちは「幸せ」を想像する時、「今はまだない」と考えがちです。

人間にとって「幸せ」は100%にならなければ得られないものではなく、「不幸」が90%でも10%程度あるようなものなのではないでしょうか。

 

そして、「10%の幸せ」をまるで100%あるかのように感じ、満足することこそ「幸せ」なのかもしれません。

「幸せ」は足元に転がっているとよく言われますが、おそらく全ては考え方、幸せの捉え方なのだと思います。

「中今」を生きる

人が働く時、対価を求めるのは一重に「やりたくない」からです。

人に何か物事を頼む時、何かをしてもらったお礼というより「迷惑料」としてお金を払う意味もあります。

 

何か物事を成し遂げようとして、一つひとつ積み上げて何も得られなかった時、人は失望します。

自分の努力が「実る」ことを願い、積み上げることを「苦」と思うからこそ、実らなかった時のショックは大きいはずです。

 

「中今」とは、常に「ゼロ」であるということです。

 

昨日、今日増やした「1」が、明日の朝には「0」に戻って、その日積み上げた「1」は眠りにつくとまた「0」に戻ります。

「中今」とは過去を積み上げないということであり、常に現時点が「始まり」であり、得たものはすぐに消えていきます。

 

だからこそ、結果や成果ではなく「行為」そのものを目的とすることができるのです。

その行為を続けるなら、何の意味も感じないような行動ほど習慣化することは困難になるでしょう。

 

それでも、実際にやったことは実績となり、身につき実力となっていきます。

そうして手元に残ったものは、決して嘘をつかないのです。

 

常に「0」であっても構わない、いずれ「1」が「0」になっても続けられる、そんな気持ちこそ真の情熱であり、「中今」を生きるということです。

何も得られずとも常に目的は達成されている、その行為に「愛」が宿り、生き甲斐となるのではないでしょうか。

米国経済は語るに堕ちた

アメリカとイランの停戦協議が決裂し、アメリカがホルムズ海峡近くの海上封鎖を始めるとのことです。

これまで、投資家にタンカーの通過状況が注視され、原油価格が米国株式市場に「逆相関」の形で影響を与えてきました。

 

ホルムズ海峡の状況は悪化しWTIも上昇しているにも関わらず、米国株式指数は何の良い判断材料もない割に上昇しています。

「原油価格の上昇は米国経済に打撃を与える」という前提すら通用しなくなり、今の米国株式は何の根拠があって投資判断が行われているのか疑わしい状況と言えます。

 

トレーダーはトランプ大統領の朝令暮改の思いつきに引きずられているように見えます。

近年の米国株式市場は無条件に積み上がるインデックス投資とマネーサプライ供給に依存した隆盛を見せてきましたが、現在は本当の意味での株取引ではなく、単なる「マネーゲーム」の中の惰性的ルーティンとすら言えるのではないでしょうか。

 

まるで「密室経済」としか表現しようのないような、不透明すぎる市場になっているように思えます。

私が最近、米国経済を扱いたくても扱えないのは、あまりに実体がなさすぎて掴みどころがなく、どれも芯に辿り着かないからです。

 

誰もがS&Pインデックスが沈んだらアメリカ経済も崩壊するとわかっているからこそ、「とりあえず資金を大量投入する」という暗黙の了解が出来上がっているのではないかとすら感じます。

そこまで行ったら、株式市場は経済の場ではなく「政治」です。

 

今の米国株式市場は戦争当事国の政治であり、地政学的戦略の一環なのだと思います。

「きつね姫」

次作「祓戸劇場」で登場予定の稲荷のご眷属、「狐神」の『きつね姫』の立ち絵です。

 

「きつね姫」は、以前の「祓戸劇場・試作4話」で、「伊吹親衛隊」として登場した「猫又の神」「白兎姫」に並ぶ「動物神」の女神という設定です。

そんなこんなで「猫・兎・狐」という、可愛いどうぶつのマスコット的な女神様が揃い立ちした形となります。

 

こちらの「絵語」ではアップしていなかったので、「祓戸劇場・試作4話」を再掲します。

 

「伊吹親衛隊」は次作に登場予定なので、お楽しみに。

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