「着陸体制」

5月2日蠍座満月から始まった霊的な「上昇気流」は、どうも17日牡牛座新月あたりで最高潮となり、やはり30日射手座満月を目指して「収縮」に向かっているようです。

どうも最近巻き起こっていた「勢い」は、「着陸体制」に移ったかもしれません。

 

おそらく、「奥山=精神界」の門が開かれ、気場的に登ってきやすいのは今週一杯です。

その後は上昇しやすいエネルギーが弱まり、次第に通常の気場に戻っていくのではないでしょうか。

あと、予感なのですが「世が荒れる」ため、雰囲気として難しくなる気もします。

 

だから、「神世」にいち早く進みたいと思われる方は、この数日はご自身の「純化」に一層励まれると良いでしょう。

神の道の「戦」

誰もが、世に対して「苛立ち」を感じておられるはずです。

しかし、「怒り」や批判を通して世を変えようとすることは、かえって「善意」が争いの火種となり、神示に言う「善の外道」に進んでしまいかねないのです。

 

このことが重要になってきたのは、地球の「次元上昇」が進み、「」のあり方が命運を左右する時代に入ったことも関係します。

これからは「気」の持ち方によって、自身に起こる現象も変わってくるでしょう。

これが「宇宙の霊界化」であり、地球の「次元上昇」の真意です。

 

少し無責任に思えたとしても、「批判」に解決の矛先を向けるべきではなく、ある程度のスタンスを持っていた方が良いでしょう。

まして、良い「」から社会を作り変えようとすることでしか、本当の「世直し」には繋がらないのではないでしょうか。

 

いかなる「悪」も、神が作り給いし「裏」の御用なのだとしたら、悪を憎み攻撃することに大した意味はありません。

もし自分の忌み嫌うものを推し広めようとする人がいて、大勢の人がそれを「良い」と言っていたとしても、そこに腹を立てるべきではないのです。

 

「戦い」による解決ではなく、「棲み分け=共存」という選択に出口を求めることが、「神の道」における「戦」となります。

そこまで「大人」になることを求められるからこそ、一段高いところに新しい文明を作ることができるのです。

 

もちろん、その批判心には咎めたくなるだけの理由もあるでしょう。

ただし結果から考えれば、世が一度「悪」に染まるからこそ、新しい文明に残すことができないものが決まります。

 

このプロセスがいずれ「宇宙の学び」となり、神々の世界をひっくるめて「弥栄」の世に変わるきっかけとなるのです。

だからこそ「永遠の立場」から今の世界を眺めて、高い視野から「悪」を静観する時、この世がどう変わっていくのかを見通すことができるはずです。

「霧」の向こうへ

3月20日春分以降、私の行動指針が「平和」や「希望」というポジティブなテーマに切り替わったことは、長らく私の文章をご覧になられている方なら感じておられたかもしれません。

 

「招神万来」でも、国際情勢や社会に対する批判的な記事が減ってきたことに繋がっています。

最近、私がポジティブかつ非現実的な話をすることが多くなってきたのも、「敢えてそうしてきた」部分があります。

 

ただ現実的には、私がずっと参照してきた「Bloomberg日本語版」にもペイウォールが掛かるようになったため、善意に頼れなくなったのも理由の一つです。

 

今の世の中は、きちんと取材された良質な情報を得るのが難しく、正直どのメディアでも多少のバイアスはあるのですが、最近は特に政治的なニュアンスが露骨になっており、有料記事でも信憑性が薄くなったのは感じていました。

それでも「使命感」をどこかに感じるなら、引き続き洞察も試みたりはするのでしょうが、最近はむしろ「批判から離れる」ことへのテーマがあった気がします。

 

それは、この数週間で「具現化」を始めた「世界の二極化」と無関係ではありません。

今、この世界で「真実」というのは、どのメディアを追えば手に入るというものではないでしょう。

 

むしろ「戦争」が肥大化する世界において、「報道」は権力の作用する場に変わります。

だからこそ、ペイウォールをいくら乗り越えても「真実」に辿り着けるとは限らず、まして「有志」のSNSが全ての指針になり得るかと言えば、決してそうでもないでしょう。

 

今こそ大事なのは、世界に包まれた「霧」の向こう側に行くことではなく、足元の見える世界で「地」に足をつけて生きることです。

その時、自分の近くにいる大切な人の手をグッと握り、守り抜くことです。

 

それが私の言う「祓い清め」であり、それでも自分の平常心と大切な人の心を守るだけで、大変な「」になります。

これこそが「天国」へ向かう戦であり、人を批判して倒して進む戦は、全て「戦争」なのだと思います。

 

だから些か能天気に見えても、「戦わない」という選択をすることすら、今は「戦」となり得るのです。

世界を包む「霧」の先にある光は、プロパガンダを掻き分けた壁の向こうにあるのではなく、手で触ることのできる温もりの向こうにあります。

神様から見た「人」

「全知全能」とされる神々は、私たち人間の行いをどうご覧になられているのでしょう。

人類は歴史の中で悪逆非道も繰り返しては今もなお浅ましい行為を続け、ましてその心は神から全てお見通しですらあります。

 

おそらく「神」という御存在は、初めから「悟りきった」境地の向こう側におられ、人間の視野を遥かに超えた次元でものを見ておられます。

その違いは、人間から見れば「人と動物」あるいは「」くらいの差があるでしょう。

 

例えば私たちから見て、猫が皿に顔を突っ込んで食事をする光景を「浅ましい」とは思いません。

人から見て「猫はこういう生き物」という頭があるからであり、習性も生物としての性質も全て折り込んだ上で理解しています。

 

なぜ全知全能の神が「人間」へ深い関心を注がれるのかと言うと、高次元におられるがゆえに「最低次元の霊人」たる人間は特別で、常に学びの対象であるからだと思います。

 

私たちが飼育ケースの中で「カブトムシ」を観察するように、おそらく全てにおいて次元が違いすぎるため、あらゆる生態が興味の対象なのだと思います。

どんな善行や悪事も、神からすれば「人間はこういう生き物である」という認識の範疇にあるため、その推測の域を出ることもないのでしょう。

 

私たちが、自らの行いを「お天道様は見ている」と認識するのは、素晴らしいことです。

私たち人間は、自らの言動を「善悪」を軸にして神に問おうとしますし、時に「恥」と感じることもあるでしょう。

 

ただそれでも、神々からすれば「猫」や「カブトムシ」レベルでの考えであり、どうしても「その程度」に過ぎないはずです。

だからこそ、私たちは自分たちの行いを少しでも過大評価したり、また変に遠慮するべきでもないのです。

 

神の前で「いくら遜っても過ぎることはない」と神示にあるのは、神に何もかも与えられ、どんな能力も神に匹敵しうることがない人間にとって、思い上がることのできる要素は何一つないからです。

 

だから、私たち人間は自らの立場をしっかり認識し、またもっと広い心で「神」という御存在を慮り、神様を「信頼」することが大切です。

人類の「未熟さ」は、神がお見通しの上に予め許されたものであり、大事なのはそこから私たちが「成長」していくことなのだと思います。

迫られる「取捨選択」

5月17日牡牛座新月から、また世界が「一段」上がったと確信しました。

「世界線の二極化」が更に進み、「取捨選択」が加速しています。

 

今あるものに対して「手にすべきもの、手にしないもの、手に持つべきもの」の判断が問われています。

「神世」に進む人々にとって取捨選択は、今後ますます「捨てること」を求められるかもしれません。

 

「天下の大掃除」は、現象としては経済の収縮という形で始まっています。

順番からすれば、身魂の「掃除洗濯」や「借銭返し」は、今「神世」の世界線にいる人々のターンにあります。

 

もともと、暴力的な規模の資産を持たない方が多いと思いますが、「消費」という点に関して、既に「取捨選択」が求められていると言えます。

実はこれが重要で、自分の「お金の使い方」や「時間の使い方」、「情熱の使い方」は、制限があるからこそ質を高められる面があります。

 

この時期になって、私もますます普段使いのものに手放しが入るようになりました。

日月神示でも「贅沢」を戒める文言があり、神々は「生活の仕方」のレベルから改めて欲しいのだと思います。

 

対して「人世」に残った人々は、おそらく「」や「」の世界に向かっています。

実際、今でも羽振りが良い生活をなさっているはずで、今の時期にエネルギーや資本に際限を求めないということは、「これまで通りの選択」を貫く意志の表れでしょう。

 

そこに変化を求めないのも重要な意思決定ですが、いずれ時代が切り替わり、変化を受け入れなければならない時が来るはずです。

そこに「善悪」はないのですが、天からすれば何もかも「順番」であるため、起こりうる未来への準備は、事前に把握した上でコツコツやるに越したことはありません。

 

6月以降の流れについても、だんだん見えてきたので後日「招神万来」の記事にしたいと思います。

個人的に、「今までの勝手が通用しなくなってきた」ことを実感しています。

「神人」の仕組み

日月神示によると、人間は「神の宮」とされます。

 

人は地上世界のみならず、存在の半分を「霊界」に置くため、「肉体」を有する「霊人」の一種と言えます。

また、全ての人は大神から「分御霊(わけみたま)」を与えられた「神の一柱」でもあるため、そもそも人間の肉体を司る魂こそが「」なのです。

 

人間の「分御霊」は、身魂の「・(ヒ)」を通して、他の霊人や神々と繋がることが可能となっています。

「神の宮」とされるのは、「・」が神と繋がることで人間の心身に「神懸かり」を起こすことができるからです。

 

神示では、神懸かりした「神」からすれば、肉体人の存在は「感覚の対象外」とされ、肉体は無いも同然であり、それゆえ身体性を神に合わせる必要はないと語られています。

 

例えるなら、ゲームのコントローラーの主導権が誰かに移っても、ゲームの世界とは関係がないのと似ているかもしれません。

ゲームの「プレイアブルキャラ」を私たち人間とすれば、100ポイントダメージを受けようが「毒状態」になろうが、ゲームを遊んでいる側からすると別に痛くも痒くもないのと同然なのではないでしょうか。

 

ただ、プレイヤーとしては毒状態の時に「毒消し」がなかったり、敵が強すぎたり攻略に行き詰まったりすると問題があります。

その時、「攻略法」を熟知している神様が、耳元でアドバイスしたり操作を変わってくれたら、ゲームがスルスル進むはずです。

 

これができるのが「神の宮」に神が宿った人、いわゆる「神人」です。

おそらく古き良き日本人は、神懸かりがデフォルトのあり方であったのでしょうが、3000年続く「闇の世」で、この霊性を落としてしまったのです。

 

この失われた霊性を取り戻し、人間本来のあり方が世界中の人々に広がり、いずれ人類全員が「神人」となるのが、私が「神世」と呼ぶ「弥栄の時代」です。

人類はそもそも「神人」を生み出すため神から創造された存在であり、現世人はその「礎」となるべく、今こそ進化の切り替わりの時を迎えているように思います。

今こそ「祓い清め」を

どうやら今、「神に仇なす者たち」が異様に焦りを抱いているようです。

 

彼らの真の目的は「神になり変わる支配体制」の確立です。

そのため、世界に対する「権威性」や「全体主義」が、完全に配下へ収まっていなければならないのです。

 

しかし、ここまで「世界線の二極化」が進んでしまうと、もはや構造的に「世界征服」が不可能になってしまいます。

「世界の半分(厳密には5分の4)」は手に入らない領域に入りつつあるため、即ち「全体」を手にできなければ完全なる「征服」は達成できません。

だからこそ、彼らは焦っているのです。

 

現在、その「焦り」が実際に現象となっていますが、お分かりになられるでしょうか。

世界線の分離によって、神世を選んだ人々は「自立」の道を歩んでいますが、反対の「獣の道」は「全体的統制」のために、人々の「自立」を阻害しようとします

 

私たちにとって大切なことは、ひたすら障害となるものから「距離」を取ることです。

それが自分を守り、身魂を磨きながら「祓い清め」を行うことになります。

 

最近は色々ありますが、心配はいりません。

じきに、世は開けてくると思います。

世のため、人のため

毎日、神棚に拝む時に「世のため、人のために尽くさしめ給え」と祝詞を奏上します。

 

もし私がもっと「世のため」に行動しようとするなら、SNSアカウントでも始めたり、インフルエンサーと「コラボ」するなどして発言力を高めるべきかもしれません。

ただ、「世のため」にしたことが必ずしも「自分のため」になるとは限りません。

 

まず「自分のため」にやることが「人のため」になり、「世のため」になるようにすることが「いろは」だからです。

このスタンスでいると、なかなか評価や成果には繋がらないでしょう。

けれど、今の世は何でも「カタチ」となるものを出せば、すぐに対価を得られる仕組みになっています。

 

しかし、まず「型」を完成させてから作った「製品」でなければ、本来は対価を得るべきではないのです。

この「型」を造ることが将来的に「自分のため」になるのですが、私たちはしばしば、ここを飛び越えて中途半端なカタチでも出してしまいたくなるものです。

 

今、「どれだけ足踏みをしなければならないんだ」と焦る方がおられるかもしれません。

残念ながら今は「型」が求められる段階であり、それが「時節」というものです。

 

「時の流れ」こそ自分の思うようにはなりませんが、私たちが今できることは、いずれ「時」が来たらすぐに世に出せるところまで「準備万端」にしておくことです。

ここで辛抱を続けられるかに、「信念」の強さが関わってきます。

 

まして「臥薪嘗胆」こそが「世のため、人のため」に必要な段階なのだとしたら、この我慢こそ「自分のため」であったりするのではないでしょうか。

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