神様の「目線」

神様は「天から見ておられる」とよく言いますが、神様は人間の心の奥底におられて、その人の心の動きを裏の部分まで見ておられるように、私には思えます。

だから「頭で考える分には良い」とか「人に見られなきゃ良い」と考えていても、その心根すら見透かされていることを知っていた方がよいかもしれません。

 

実は、その隣にはご先祖様や亡くなった家族もいたりして、こうした方々にいつも恥ずかしくない心でいたいものです。

おそらく、人が持つべき尺度は「良いか悪いか」ではないのだと思います。

 

少なくとも、「恥ずかしくないか」という部分で自分と向き合ってみたら、かなり深刻な癖があることに気づきます。

人生とは、この「癖」と向き合う時間そのものなのかもしれません。

「茜色」の空

先日リリースされた、桑田佳祐さんの「人誑し」を聴いて気づいたことがあります。

 

歌詞に「男のジェラシー渦巻く世界、茜色に染めるのは今でしょう‼︎」というフレーズがあります。

「茜色の空」は通常、表現としてみれば「夕暮れ」です。

 

「朝焼け」を意味するなら、「赤紫色」とか、「瑠璃色」という表現の方が近い気がします。

あるいは、「男の世界を終わらせろ」という意味かもしれません。

 

主題歌となるアニメ「あかね噺」に掛けているのでしょうが、「夜明け」を表現するのに「茜色」という言葉が使われている仮定で、もう少し深読みしてみたいと思います。

 

今、おそらく最も「夕暮れ」時を感じていて世の「日陰者」にされているのは、自分の才能を持ってチートなしで成功しようと思っている若い人、女性一般、子供たち全員なのかもしれません。

そうした「茜色の者たち」で夜を切り拓くことを、「今でしょう‼︎」と歌っておられるのではないでしょうか。

 

近年になく、勢いのある曲を桑田さんが作られたのは、こうした願いが込められているのかもしれません。

「大祓詞」

神道の「大祓詞」は、「天の益人」である日本人が、あらゆる罪を冒す時、神社を建て大幣を作り、祝詞を神に捧げよ、さすれば罪は祓い清められるであろう、という内容が述べられています。

 

私たちは、悪意がなくてもやらかしてしまいますし、そうした過ちを繰り返して生きていきます。

人を傷つけてしまったり、誰かに迷惑をかけたことの「罪」は、時が経つにつれ忘れ去られたり、いつの間にかその人に許されることで、消えてなくなっていきます。

 

「過去の行い」が消え去る時、人の冒した「罪」が自然と消えていくことは、速佐須良姫命の「さすらい失わせる」御神業の一つとも考えられます。

 

水に流す」という言葉がありますが、時と共に人が過去を「忘れる」という行為も「祓い清め」になるのであれば、私たちが過去の出来事を「なかったこと」にしたりしてあげるのも、立派な「祓い清め」になるのかもしれません。

「人誑し」

本日4月3日、AppleMusicで桑田佳祐さんの新曲「人誑し(たらし)」が配信されました。

 

この曲はデジタルストアで先行配信らしく、CD自体は6月下旬リリースだそうです。

 

桑田さんは昨年3月の「THANK YOU SO MATCH」以降、ほぼ1年ぶりの音楽活動となるようです。

私はこのアルバムを聴いた時、「もう音楽はなさらないのではないか」とすら感じていたのですが、「人誑し」で相変わらずの「桑田節」が聴けて安心しました。

 

何気なく聴いていたら、「笑う門に神は宿る」というフレーズがあって、まるで「笑い」がコンセプトの「絵語」を始めたばかりの私に、遠からざるものを感じました。

この「人誑し」は、今季アニメの主題歌として桑田さんが書き下ろされた曲だそうで、私にあやかる部分は皆無のはずですが、どこか共通するものを感じるのは、新しい時代に挑戦する人々への「応援歌」とすれば、近いものを感じるのは当然かもしれません。

 

歌詞の中に「半鐘(はんしょう)はいけないよ おじゃんになる」というフレーズがあります。

「半鐘」は江戸の火消が火事の時に鳴らす鐘で、鎮火が済むとこれを2回鳴らすことから、「おじゃんになる」と言います。

つまり「心の火を消すな」ということだと思います。

 

是非、桑田佳祐さんの新曲「人誑し」を聴いて、やる気を奮い立たせてみてはいかがでしょうか。

 

「人誑し」公式サイト

「岩戸」の正体

日月神示にある「五つの岩戸閉じ」とは、結論から言えば「神の道」を閉ざすナラティブの氾濫が、人々の本来あるべき生き方を難しくさせていると考えられます。

それはおそらく現代で言う「無神論」であり「唯物主義」なのではないでしょうか。

 

この「唯物史観」を司っているのが、現文明を形作っている、あらゆる「権威」です。

そうした「神を無きもの」にして文明の頂点に立つ者たちこそ、この世界に具現化した「岩戸」なのだと思います。

 

ただ、そうした権力構造はあまりに巨大で強固、どうしても人間の力で動かすことが不可能とすら思えるからこそ、「九分九分九厘」と言えるのかもしれません。

 

こうして話の「結論」から述べると、かなり伝えやすくなった気がします。

この結論に至るまで「招神万来」は大体5000文字を要するのですが、主旨を伝えるだけなら短文形式はかなり便利です。

 

「招神万来」では長文で詳細を扱い、「絵語」では主旨だけ述べる、という「使い分け」によって、表現の幅が広がりそうです。

祓戸劇場「悪魔のスマホ」

漫画別サイト「招神万来」でアップした「HARAEDO」試作マンガの続き、完全版になります。

 

「HARAEDO」とは、日本神道の「大祓詞(おおはらえことば)」に登場する「祓戸大神」をコンセプトにした創作マンガです。

今回のマンガは、祓戸の女神たちではなく「禍事(まがごと)」を司る神々をテーマにしています。

 

登場「神」物を一覧にしましたので、合わせてご覧ください。

 

 

 

「悪役」には昔から妙にシンパシーを感じるもので、「アンパンマン」で言えば「ドキンちゃん」に感情移入するタイプです。

いや、私は中学生の頃から「ロールパンナちゃん」一択ですが。

 

そう言えば、昔からこういうポンコツキャラが好きでした。

「ドリフ大爆笑」も、カトちゃんケンちゃんより「バカ兄弟」のいかりや長介と仲本工事のコントが好きでしたし、「カミナリ様」のコーナーが始まったら決まってお風呂に直行していました。

 

少し毒があるくらいの方が、キャラが動かしやすい気がします。

「完全無欠」では、わりと話が一辺倒になりがちです。

「絵語」について

初めまして、楽太郎です。

 

本ブログは「SNS風」サイトをコンセプトに、創作を中心とした個人ブログです。

弊サイト『招神万来』では、スピリチュアルや時事解説など、長文の記事が多いため、なかなか創作と折り合いが難しいと思っていました。

 

本ブログでは、文章を500文字以内に収めるような「短文」形式の投稿をしていきます。

あくまで「SNS風」なので、フォローや「いいね」の機能もないのですが、「タイムラインを見るだけ」という感覚でおつき合い頂きたいと思います。

 

「字で語る」のが「招神万来」なら、「絵で語る」のを「絵語」としたいと思います。

「絵語」では、リアルタイムに近い更新をしていく予定で、「招神万来」よりは投稿頻度が多くなるかもしれません。

 

ご覧になられる皆さまに寄り添える、そんなコンテンツにしていきたいと思います。

どうぞよろしくお願いします。

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