「努力」への誤解

この宇宙は「悪」を足場にした成長、「弥栄」を求める世界です。

「悪」は禍事を通して世に「学び」を与える存在であり、その克服によってより良い未来に繋がるのです。

 

これを例えるなら、宇宙とは学びや「修行」を志向する世界と言えます。

ただ人間は「楽」をしたいですし、なるべく苦労も浮き沈みも経験したくないものです。

 

だからこそ、現代まで人々は「自動化」によって「苦」の軽減を図ってきました。

それが現代文明であり、「金」と「機械」が人を動かしてきた時代です。

 

ただ「弥栄の世」となれば、「成長」が重要な意味を持ちます。

全てを「モノ」に任せて「楽をしたい」「努力したくない」という身魂があるとしたら、自分から「神世」に渡ることを諦めるかもしれません。

これが「神世」に渡らず、一定の人々が旧い宇宙に残ることを選択した理由に繋がるのではないでしょうか。

 

現代に至るまで、「努力」が社会や外部から強制される時代が続きました。

本来「成長」こそが宇宙の、人としての目的にも関わらず、「修行」の強制によって「学び」そのものが「悪」と受け取られてしまったのだと思います。

 

しかし、世に強制される「努力」は、本来あるべき「努力」ではありません

人はそれぞれ霊的に「成長」することで、より良い「霊界」に行くことを自ら志向する世界に生きているからです。

つまり、宇宙に遍く存在する生命は本質的に「成長」を求めるのです

 

この「履き違え」を、きちんと認識することが大切です。

また、人が正しく「修行」を受け入れるからこそ、世が「弥栄」たりうることも大きな意味を持ちます。

「嘘」と信念

「嘘」や「強弁」ほど世を支配する理由は、それらの言葉が「権威」から発せられ、同調した集団や勢力の「」が公に可視化されるからです。

マスコミやメディアを通じた言説は「一般化」され、雑多な意見は、それぞれが少数意見であるため大してピックアップされず、埋没してないように見えてしまうのです。

 

そうして作られた「常識」は、ロジックを編み出した人々にとって都合の良い状況を作り出し、また「隠れ蓑」にもなります。

多くの人がそう思っているし、やっている」という言葉の魔力によって、真実でもないし正しくもないメッセージが世を動かす強弁に変わるのです。

 

この意見に違和感を抱き、反対意見を持ち続けるのはそれだけで難しいものです。

まして、100人中99人が「間違いない」と言うことに対して、自分1人で論陣を張るのは「蛮勇」ですらあるかもしれません。

 

自分以外の殆どの人が見て信じる事柄の「向こう」に、自分が見えた「目に見えないもの」を信じることを「信念」と呼びます。

例えば、誰もが「神はいない」と言う中で、自分だけ神を信じるのはとても勇気がいることです。

 

けれど、「誰もが否定する」先に真実を見ること、その信念を持ち続けられるかに信仰上の「試練」があり、もし真実がこの逆境を乗り越えた先にしかないのであれば、最後まで貫くしかありません。

 

人が生み出した「強弁」は、少し裏返しただけで大なり小なり矛盾が見えるものです。

また誰もが信じきっているからこそ、疑いに掛かったり検証されないことすらあります。

 

そんな脆弱な「一般論」を、人々は不動の真実であるかのように錯覚してしまうのです。

果たして、これが永久に「裏返らない」ことなどあるでしょうか。

 

「嘘」や「強弁」は自分の意思の強さを試す「試金石」です。

また「信じる心」は、真実が明らかになる時まで自分を貫けるかを試すのです。

自己の「純化」について

「自己の純化」とは、「本来の自分」を取り戻すための作業です。

 

私はこれまで、自分に向けて「祓い清め」を行う時、大抵は「自己と他者」の分別を主軸にしていました。

ただ、最近は「煮詰まったような感覚」の中で、どうも先に進めずにいたのです。

 

人は誰しも「自分ではない自分」が腹の中にいて、時折顔を覗かせます。

私は数多の「自我」がどこから湧いてくるのかわからず、何とも掴みどころがないため、自分がよくわからず、それが自身への「不信感」に繋がっていました。

 

しかし「自己の純化」とは、自分と他者の間だけではなく「自分自身」対しても行われるべきなのです。

「よくわからない自分」と「芯としての自分」を選り分け、その分別を極める作業が、自己に対する「祓い清め」です。

 

本来の「自己」とは、生前死後に立ち戻る「霊人」としての自分の姿であり、それ以外の自分は「現世の記憶の集合体」でしかありません。

それゆえに、人間が生きながらにして「純粋な霊人」に戻ることこそが「自己の純化」であり、大義の「祓い清め」なのです。

 

そうして人間は「無」に近づくほど、本質的な姿に戻っていくのではないでしょうか。

これが行き着く先が「神心」であり、過去世で到達した本来の自分なのだと思います。

「タテ直し」が先

5月2日牡羊座満月から、今月中は「上昇気流」が発生しているとお伝えしています。

 

奥山におられる方は特に、この時期に霊的上昇を果たす人々をアシストするために、「霊人」としての活動が活発になっています。

「霊体」の自分が活発に活動している間は「肉体」の勝手が効かず、日常生活に支障をきたしておられる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

もちろん、こうした霊的役割が変わったこと以上に、ご自身の霊性変化も合わさって辛い時期かもしれません。

こんな時期、まるで自分だけが苦しんでいるように感じられ、感情的に不安定になる方もおられるでしょう。

 

まるで世が変わる兆しも見えず、明るい見通しも不透明な中で、どうして相変わらず大多数の弱者が虐げられる状況が続くのか、と。

 

日月神示では、「棚のものから先に掃除をする」といった言葉があります。

これは、なぜ世を締めつける側の「タテ壊し」が一向に起こらないのか、という理由に繋がります。

つまりは、「タテ直し」の方から先に取り掛からなければならないからです。

 

おそらく「タテ壊し」は、私たち一般市民でも方法が考えつくくらいですから、神の手が入れば一瞬でカタがつくのだと思います。

しかし問題は「タテ直し」の方で、「タテ壊し」をして更地になった文明が野晒しのままであれば、ますます世は混沌とするでしょうし、それではたぶん間に合わないのです。

 

文明の「タテ壊し」が起きた後に、「タテ直し」の文明を瞬時にすり替えられる体制にしておくことが、神々の御計画なのでしょう。

だからこそ、神に近い心を持つ人々から先に、徹底的な「借銭返し」と「身魂磨き」が進められているのだと思います。

 

これは常に「日陰者」にされがちで、どちらかと言えば社会的弱者の私たちが一方的に虐げられているように感じられるかもしれませんが、モノには「順序」があります。

神世は、日月神示の通りに「一二三」に準じなければならず、だからこそ私たちが順番を違えるべきではないのでしょう。

「天界の周期」

先ほど招神万来に投稿した「5月17日牡牛座新月」の記事を読み返して、気づいたことがあります。

 

もしかして、神界にある「月」の周期は「49日」なのではないでしょうか。

昨年同様、今年も3月20日の「春分」から、5月中旬「新月or満月」までの間に「決定」が起こりました。

 

この間、約2ヶ月ですが、人が死んで「中界」で過ごす期間である「49日」に非常に近い時間です。

地上での「約50日」で天界にある月が一巡するとしたら、霊の世界では一年が「6ヶ月」となり、聖数「3」が「2」つある計算になります。

 

「春分」から「夏至」などへの四節気は約3ヶ月ですが、「約50日」が2回は収まることになります。

こうして考えると、日月神示にある聖数「3」「2」「5」が軸になっているようにも思えるのです。

 

ただし、霊の世界に「時間」は存在しないとされ、おそらく霊人にとってこの周期は「目安」にしか過ぎないのかもしれません。

また神々は、自らの御意志で時間軸を伸ばしたり縮めたりできるはずで、それゆえ「時間はあってないようなもの」と言われるのではないでしょうか。

「牡牛座新月」記事公開

「招神万来」の方で、5月17日の「牡牛座新月」を解説する記事を投稿しました。

 

5月17日「牡牛座新月」

 

ここ最近は、私の霊性変化もあって行動に一貫性がなく、自分でも何に手をつけたらいいのか分からなくなることもしばしばです。

 

「招神万来」も、以前は1万文字を超える文章も何てことなく書けたものですが、だんだん長文を書くほどの内容が頭に入ってこなくなったり、色々と勝手が変わってきました。

その代わり、感覚的な部分とフィジカル面では逆に強さを増していて、このギャップが余計に混乱を生む原因ともなっていました。

 

今回の記事は、そうした変化を「宇宙的」に見たスピリチュアルな内容になっています。

私自身、自分の変化というよりも世界の「霊性変化」に引っ張られている感覚が強く、そうした流れにフォーカスを当てた記事になっています。

 

是非、ご一読ください。

漫画HPリニューアル告知

創作コンテンツ「HARAEDO」をまとめたサイトを現在公開中ですが、リニューアルのため公開を一時停止します。

 

サイト全体の世界観をまとめ、コンセプトとして伝わりやすいものにしたいと思います。

制作の方も、変更を加えながら色々と進めているところです。

 

「HARAEDO」サイトの再開は未定ですが、逐次報告はしていきたいと思います。

今、私たちがすべき事

イラン戦争に伴うホルムズ海峡封鎖の長期化が織り込まれ始め、日々の生活が苦しくなり始めている方もおられると思います。

こんな時、不安に駆られるのは普通のことですし、特に世に溢れる情報はますます懸念を煽るものばかりです。

 

ただ、冷静に考えて頂きたいのが、この世界は「目に見えるもの」だけで成り立っているのではない、ということです。

確かに、目に見える世界なら「富める者」と「力のある者」の支配が一層強まり、大多数の貧民が抑圧される未来さえ起こりうるでしょう。

 

しかし、もし私たち一人ひとりに「魂」が宿り、霊の世界と神が存在するならば、「目に見える世界」だけが唯一で、絶対のはずはありません。

むしろ、「目に見えない世界」のシナリオの一部として、現実の出来事が起こっているとすら言えるのです。

 

だからこそ、目に見えるものに心を動かされることなく、モノの向こう側に見えそうな「何か」を注視する必要があります。

それこそが「本質」であり、常に一番大切で、最も発見されにくいものです。

 

これがわかれば、将来への取り越し苦労は無用であることに気づくでしょう。

大事なのは、目に見える世界に心を腐らせることではなく、今ある日々を楽しく健康に過ごすことです。

トップに戻る